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これをできなくなった瞬間、「人として終わったなあ…」とぼくが思ってしまうときがあります。
それは、自分に対して否定をすることができるかどうかです。いわゆる自己否定ってやつ。
幻冬舎の代表である見城徹(けんじょうとおる)さんは『たった一人の熱狂 (幻冬舎文庫)』のなかでこう述べています。
自己検証、自己嫌悪、自己否定。この三つがない人間には進歩がない。
この中でも、とくに自己否定はムズカシイとしています。でも、これができないとホントに人間としてダメになっちゃいますよ。
自分に対して問いかけるべし
自己否定しているか、と聞かれて胸をはって「している!」と言うことができる人はどれくらいいるのでしょうか。
それくらい、自己否定はムズカシイです。ぼくも常にきっちり自己否定できているかというと、自信はありません…。
それでも、自己否定してますか?できてますか?と自分に対して問いかけることが大切です。
ぼくの場合、自分の強みに「内省」があるので、自分に対して問いかけるのは比較的うまいんじゃないかと。
強みは『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす』という本についている診断でわかっちゃいます。めちゃくちゃ詳しく診断してもらえるのでオススメ。
別のやつなのですが、グッドポイント診断であれば無料でうけることができます。こちらもかなり詳しいです。
関連:〈診断〉自己分析ちゃんとできてる?「ストレングス・ファインダー」で適職を見つけよう
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否定して放置…ではなんの意味もない
仮に自己否定ができたとしても、そこで満足してしまっては全く意味がありません。
大切なのは、否定したあとどうするかです。ちゃんと自分の足りないところを認識し、どうやって良くしていくかを考えましょう。
ぼくの場合だと、自分の足りないところを数字化して、それをよりよくする目標を立てています。
たとえば、「早起きができていないから夜は1時間早く寝て、今までより早く起きれるようにしよう」みたいな。
いくら自己否定をしても、早起きできなかったぼくのバカバカバカ!とかやっていたってしょうがないですからね…。
「まだよくなれるそ」と考えることが自己否定
自己否定というと、どうしてもネガティブに聞こえてしまいます。しかし、自己否定することは本来ポジティブなことではないでしょうか。
自分のダメさを自分で否定して悲観のどん底に落ちることが自己否定ではありません。
自分のダメさに自分で気づいて「まだよくなれるぞ」とふるい立つことが、あるべき自己否定の姿ではないでしょうか。
『たった一人の熱狂 (幻冬舎文庫)』のなかでは、このようにつづられています。
「自分はまたしても駄目な人間になってしまった」と自覚するからこそ、人は永遠に戦い、永遠に成長し続けられるのだ。
現状に甘んじることなく、足りないところを常にさがしてよりよくしていく。この自己否定をできるうちは、人間としてまともにいられるんじゃないかなと。