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里腹三日(さとばらみっか)、という言葉。
「ふるさとで遠慮や気がねなくお腹いっぱいに食べたごはん(里腹)は、3日は空腹を感じないほどであること」を意味するその言葉をぼくは実家に帰るたびに聞かされます。
確かに、実家のごはんはおいしいです。満足感もあります。まあ、半日もすればお腹はすきますが。
今回は「世界一おいしいごはん」ということで、なんだかんだ実家のごはんが世界で一番おいしいと言いたいところです。が、うれしいことにこの世にはおいしいごはんがたくさんあります。
というわけで世界一おいしいごはんってなんなんですかね、というお話です。
他人のつくったごはんはおいしい
ぼくの大前提として、自分以外の人がつくったごはんはおいしいというものがあります。もちろん、例外はありますが。
自分でつくるごはんもおいしいのですが、なんというか、食べなれているというか、タネがわかっているというか。意外性がないというか。予定調和というか。
「その発想はなかった!」みたいなことを、ぼくはごはんに対して求めています。
食べたことのないものはちょっと無理してでも食べたいくらい、貪欲です。なので、初めての土地で食べものを買うときは大変です。迷いまくるわ、買いすぎるわ、食べすぎるわ。
食べものはエピソード
ただ、自分以外の人がつくったごはん、はじめて食べるごはんであっても、エピソードのないごはんはあまり記憶に残っていません。
たとえば、人生初の海外旅行(タイ)で友人と食べた、初日の朝ごはんの味は今でも覚えています。
左が切り干し大根の玉子炒めみたいなやつ(日本人好みの味でおいしかった)で、右がたけのこっぽいものが入ったカレーっぽいスープ(地獄のように辛かった。)で、ごはんにのっけて食べました。
視界のわきで遊んでいるの子犬のおしりを見ながらの朝食ははじめてで、「(狂犬病とか大丈夫なのか…?)」とか思いながら、そして友人と1日の予定をたてながら食べていました。
こんなふうに、ごはんにエピソードはつきものです。そして、どんなに人気のディナーでも、どんなに有名なスイーツでも、エピソードがなければただの栄養摂取です。
逆に、エピソードがあればそのごはんは一気に世界一のごはんへと躍り出ることができるのかもしれません。
世界一おいしいごはん、とは
正直なところ、世界一おいしいごはんは味だけでは決まりません。
自分の状態、一緒に食べる人などなどのシチュエーションのあとに、やっとそのごはんの味がくるかと。要するに、味は二の次だったりします。
「おいしい」という言葉自体がもはや味覚だけではないのかもしれません。「おいしいとは五感すべてである。」と言えるでしょう。
そう考えると、里腹三日という言葉にもより説得力がましてきます。ふるさとでごはんを食べることと、ふるさとの食材をどこか違うところで食べることとは、全く違いますよね。
まだまだおいしいごはんはあるはずなので、「世界一のごはん」を求めていろいろ食べていきたいと思ったお昼どきでした。