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今年もまた、ぼくのふるさとである福井県が幸福度ナンバーワンに輝きました。やったぜ。
引用:最新通信簿!47都道府県「幸福度」ランキング 幸福度1位は福井県、もっとも不幸なのは? | 住みよさランキング – 東洋経済オンライン
幸福度、というなんともふんわりとした指標ですが、ふるさとがポジティブなランキングで上位にくるのはうれしいものです。
(認知度はあいかわらず低いので、どうにかならないものかと思っていますが。福井は九州でも東北でもないからな?)
ただ、当の県民たちは「え?うらら幸せなんけ?(え?私たち幸せなの?)」と思っている人たちが大多数なのではないでしょうか。少なくとも、ぼくはそうでした。
そして、そんなトップの風格のなさこそが幸せのヒケツなのではないかと。
おだやかな感じが幸福のヒケツ?
ぼくは高校までを福井ですごしたのですが、幸福かと聞かれると「まあ、不幸ではないけど…」という感じでした。
おそらく、福井に住んでいる人の多くが高校生のときのぼくと同じく「どちらかと言えば幸せ」みたいな感覚かと。
のんびりした県民性ということもあり、ハッピー最高!みたいな表現をする人は極端に少ないです。みんなおだやか。
思うに、本当に幸せな人は幸せそうにしていないのではないでしょうか。
まあ、不幸じゃないけどなあ…くらいの状態が最も持続的に幸福でいることのできる状態な気がします。
幸せそうにしている人の幸せというのは、一時的であると言えそうだなと。安定感が大切とも言えます。
幸福を比べない環境
幸せの感じ方は、まわりの環境によって変わります。
自分がまわりの人より多くのものをもっている状態であれば、自分は幸せだと感じるでしょう。
逆もしかりで、もしまわりの友だちがハイスペックな人たちばかりだったら、自分だけなんでこんなに…と不幸な気持ちになるのはアタリマエのことです。
つまり、他者との間になにかしらの差があると、持たざる者はどうしても不幸に感じてしまうというわけです。
他人との細かい違いをついつい気にしてしまいがちですが、そこにこだわらなくてもよい環境があるというのも幸福度1位の理由なのでしょう。
幸せって気づかないもの
そもそもの話になってしまいますが、幸せなときには自分が幸福であることに気づかないものです。
逆説的ですが、幸福度トップの風格がないことこそが幸福度トップの風格であるというわけです。
いまと比べて幸せだった、だれかと比べて幸せ、という感覚がうすいことが幸せの証拠なのではないでしょうか。
「ハッピー最高!FOOOO!」と言っている人のほうがパッと見た感じは幸せに見えますが、実はのんびりやっている人のほうが幸せだったりするのかもしれませんね。