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議論の目的は正解を出すことだと思っているすべての人たちへ。

ぼくは現在就活生であると同時に大学生です。4月に入ってからは大学の授業もはじまり、議論の場で話すことも少しずつ増えてきています。

議論をしているとふと気になるのが「正解を出さなければならない」という雰囲気です。正しいことを話さなければならないという圧力に、その場が支配されているときがあります。

正しいことなんてないことがほとんど

世の中において、完全に正しいことというのはどれほどあるのでしょうか。

大学に行って授業をマジメに受けるのが正しいのか、それとも授業はほったらかしで学生のうちから起業してお金をかせぐのが正しいのか、その答えは人によるでしょう。

大切なのは、どちらがその人にとって最適であるかということです。

世の中そう簡単にわり切れないものです。正しさを追い求めることがそもそも正しくないのかもしれません。

議論でだすべきもの

議論においても、正しさを求めることは非現実的であると思います。

議論でだすべきなのは「最適解」です。決して正解ではありません。

まず議題が解決し、かつその議論に参加している人たち全員がどれだけ納得がいくものをだせるか、というのが議論におけるひとつの答えなのではないでしょうか。

正解を話さなければならないという呪縛

最近の議論においてぼくを含む話者たちが、「正解を出さなければならない」という呪縛のようなものにとらわれているような気がしています。

「ひょっとすると同じ呪縛にとらわれている人たちと、就職してからも議論を交わすことがあるのかな。」とも思っています。

大学生から社会人になったからといって、とつぜん議論に対する考えかたが変わるとは思えませんからね。

まずは、世の中に正解そのものが少ないということを認めて、かつ議論で向かうべき方向は最適解であるという意識をもつ必要があるのかもしれません。

ぼんやりとしたアイデアも場に出そう

正解を出さなければならないという呪縛から自分をとき放つことができたら、今度は最適を探すことをしましょう。

そのために大切なのが、ぼんやりとしたアイデアの考えも議論の場に出すことです。ぼくも最近ようやくやろうとするようになりました。

正解を求める考え方だと、ぼんやりとしたアイデアをまだ話すべきではないものとしてアタマにしまってしまいます。そうではなく、議論の場に自分のアイデアを出してみましょう。

すると、他の人がその考えを具体化する手助けをしてくれるかもしれません。また、自分のアイデアがいま行われている議論の本流と違う場合であっても、よりよい方向に議論が向かう可能性もあります。

まとめ

正解ではなく、最適解を求めるのが議論です。

そのためには自分の発言が議論に与える効果を考えながら、場に対してアウトプットすることがひとつの大切なことなのではないかと思います。その発言がはっきりとしている必要はありません。

「いま・・・ということを考えているんだけど、どう思う?」というように、議論の場に対して言葉を投げかけることもときには必要なのではないでしょうか。それが思わぬ糸口になる可能性があると思います。

自分の発言が場に対して与える影響については、ぼくもまだまだ勉強中です。効果的な議論ができるようになりたいと思う、今日このごろです。