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「わー!キミとおれは価値観が合いそうだね!」
新しく人にあうことが続くと、比較的よく言われます。
相手はこちらと仲よくしたいから言っているし、おそらく本当に「価値観が合う」と思って言っているのでしょう。
ただ、ぼくに言わせてみれば「価値観が合う」ってありえませんよ。冗談でも言わないほうがお互いのためです。
カンペキに価値観が合う人、いた?
価値観が合いそう!となかば適当に話をする方を問いつめるつもりはありませんが、今まででカンペキに価値観が合う人いましたか?
家族であれ、友人であれ、恋人であれ、カンペキに価値観が合う人はいません。双子ですら価値観がまったく同じということはありえないでしょう。
その人の生まれもった性格と、これまでにいた環境、やってきたことによって人間の価値観はつくられていきます。
これらがすべて同じ人はいません。自分の経験は自分しか経験していませんし、ゆえに自分の価値観は自分だけのものです。
そんな中、価値観が合うことがありえるのでしょうか?
ぼくだったら「価値観が合いそう!」と言われた時点で、なんかねらいがあるんじゃないか…と一歩引いてしまいますね。
価値観が「似ている」人はたくさんいる
価値観が合う人はいません。しかし、価値観が「似ている」人はたくさんいます。
たとえば、ぼくが「価値観似てるなあ」と思うのは、おいしいものが好き、旅行が好き、本が好き…などといった方です。
その人たちとドンピシャで価値観が合うなんてことはありませんが、ある部分においては仲よくすることができます。
当然、こちらが受け入れられないこともありますが、そこでショックを受けずに「あっ、これは違うな」と把握してしまいます。
どこが合っていて、どこが合わないのか。ここの判断をあやまると人間関係はこじれるんじゃないでしょうか。
合わないところを把握してから、人間関係がはじまる
仮に合わないところがあったとしても、それは変えようがない事実ですし、他人の性質をなんとかしてやろうとは思わないことです。
「価値観がドンピシャで合う人なんてものはいない」という前提のもとで、人間関係をつくることが大切です。
過干渉もよくないです。人と親しくなればなるほど、「私がなんとかしなきゃいけないの!」となることが多いですが、ぼくに言わせるとそれはしなくてよいことです。
ヒント的な意味で、新たな視点を見せることはいいことですが、そちらの視点に誘導することはできればしたくないものです。
「あっ、あなたはこう考えるのね。なるほど。ちなみにぼくはこう考えるんだよね。」くらいの人間関係が、お互いにとってよりよいのではないでしょうかね。