人生の変わり目はふとした一瞬。そしてあとになって気づく。

Pocket

「私、文転します!」

ぼくがメンバーの一人として企画した学部のオープンキャンパスにて、とある女子高生が発した言葉です。

ちなみに文転とは、理系から文系へと変わることです。お受験的に言うと、社会科の科目数が1つ増えるのが主な変化といった具合。

いままで習っていなかった科目が1つ増えるというのが目に見える負担なのですが、他にも周囲からの声というものも負担になるんじゃないかなと。

理系のほうが将来安泰だとか、文系なんて大学で遊んでるだけだとか。

一部の大学生を見てそういっているのか、はたまた大学生の現状なんて知らないままイメージでそういっているのか。それはわかりませんが、とにかくやいやい言いたがる人は出てきます。

それでも、決めたのならがんばってほしいなあと思うのです。そして、あとあと「あのオープンキャンパスが転機だったなあ」と思い出してもらえたらなにより。

スポンサードリンク

変わり目はふとした一瞬に

人生の転機というのは、意外と一瞬なのかもしれません。ふとしたときに、ふらっと行ったオープンキャンパスが人生の変わり目だった、ということもありえます。

自分は理系にもかかわらず、友人の付き添いで立ち寄ったオープンキャンパス。それが文系への入り口になってしまおうとは、彼女もまさか思わなかったことでしょう。

ただし、文転してしまったが最後、理系にまた戻るのは時期的にむずかしいと判断。そのため、よく話をして決めてもらいました。

こちら側としたら、それだけの影響をあたえることができたのはある種達成感もありますが、プレッシャーのようなものも感じてしまいますね。

自分の生き方くらい自分で決めること

当たり前の事実なのですが、自分の人生は自分のものです。親や先生にどれだけ反対されようとも、自分で文転を決めたのであればがんばってほしいです。

幸せの尺度は人それぞれです。どれだけ勉強ができても、どれだけお金をもっていても、自分の幸せを定義できない人は幸せになることなんてできません。

逆に言えば、自分の幸せの尺度を見つけることさえできれば、とりあえず幸せに向かうことはできます。

そのためには、自分の生き方を自分で決めることが重要なのではないでしょうか。つまり、誰かのモノサシで測った幸せの上を歩かないということです。

人の人生にまで責任をとらなくてもいい

逆に言えば、人の人生にまで責任をとらなくてもいいということです。いちいち責任をとっていたら、学校の先生とかどうなるんだよという話ですが…。

これは別に他人を冷たく突き放せと言っているわけではありません。むしろ、その人が自身の人生に対してちゃんと責任をとれるようにもっていく手伝いをすべきと言いたいのです。

だれかに頼りにされるというのは嬉しいことです。しかし、寄りかかってこられるレベルになってしまうと、両者に対して負担です。

それぞれが正しい距離感を保ちながら、それぞれの幸せの形を見つけることができるとよいなあ、と思う今日このごろです。

Pocket

The following two tabs change content below.

黒田 剛司

福井県出身。千葉(金谷)在住。新卒でフリーランスになりました。物書きをしています。サイトも作ります。ブログ、メディア記事、サイト制作、企画、イベント運営などをやります。

SNSでもご購読できます。