思考

読んだ本の冊数が増えることに、なんの価値もない理由

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「今月は本を◯冊よんだ!」と、読んだ本の数にこだわる人いますよね。

そうです、昔のぼくです。

どれだけ本を読んだか、どれだけの時間を読書に使ったかを数えるのが、楽しくてしょうがなかったんです。

でも、それってなんの意味もないんですよね。

今回はそんな話です。

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本のページ数にお金を払っているわけではない

あなたが本を購入するとき、本の何に対してお金を払っていると考えますか?

ページ数?本のカバー?それとも、読書家というステータス?

本の原価についての話ではなくて、「本の価値はどこにあるか」というのがポイント。

少なくとも、本のページ数にその価値はないんです。

ページ数が多かろうが、自分にとって価値のない本はあります。そんな本をいくら読んだところで、薬にも毒にもなりやしません。

重要なのは「情報」「思考」

よく考えると、本の価値ってその存在ではなくて、情報という形のないものにあるんですよね。

だからKindleなどの電子書籍が受け入れられているわけです。

関連:Kindleは本よりも読書に最適だったという事実。

そして、その情報をゲットしたときに起こる、自分の中での思考にも価値があります。

ぶ厚い専門書をわけもわからず読めばいいなんてことはなく、むしろ星新一ショートショートでしっかり考えたほうが、読書の効果は高いと言えるでしょう。

冊数が少なけりゃいいってもんでもない

読んだ本の冊数が少ないほどよいわけでもありません。

というのも、それはそれで自分に必要ない情報を見きわめることができていない可能性もあるからです。

小説や文学作品など、じっくりと世界にひたるための読書もよいですよ。

「本を読んだほうがいい!」と無条件にイエスを唱えることはどうなんでしょうか、というお話。

本から情報を得て、世界を広げよう

本は情報を得るもの、そして自分の思考・世界を広げるものです。

たくさん読むゲームではありません。大切なのは「その本を読んで、どんなことを考えたか」というところにあります。

やり方をちゃんと考えないと、読書は時間を浪費するだけの作業にもなりえます。

頭でっかちにならないためにも、柔軟な本の読み方をしたいものですね…!

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アタマがかたいおじさんにならないための生存戦略。

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「若い子はいいねえ〜。アタマのやわらかさが違うもんな〜。」

そのように、おじさまたちに言われることがあります。22歳、黒田剛司です。好きな食べものは寿司です。

もちろん、ほめられるのはうれしいです。ただ、同時に「(自分もしっかり年をとるんだよな…)」とつい考えてしまいます。

それはつまり、いずれはやわらかい(と言われている)自分のアタマが、おじさまたちのようにかたくなってしまうんじゃないかというわけです。

いまのところ、人類は時の流れには抵抗することができません。え、やばいやばい。勝手にアタマかたくなっていっちゃうの?どうしよう…。

というわけで、今回はアタマをどうやってやわらかく保つかについて考えてみました。

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アタマのやわらかさってなに?

アタマのやわらかさを保つぞ!と大見得を切ったものの、そもそもアタマのやわらかさがどういうものなのか、イマイチよくわかっていません。

一般的に言われるアタマのやわらかさというのは、以下のような感じでしょうか。

  • 突然のイレギュラーにも即座に対応できる
  • 一つの考えにこだわらず、様々なアイデアを出すことができる
  • 他人の意見が自分と違う場合でも、受け入れることができる

こうやって考えてみると、アタマがやわらかい人とはこだわりが少ない人だという言い方ができそうですね。執着しない人、と言ったほうがより正確です。

ということはですよ、人間は年をとるにつれてこだわりが強くなっていき、アタマがかたくなっていくということなのでしょうか?

アタマやわらかおじいちゃんもいる

年をとるにつれて、ものごとへの執着が強くなってきて、アタマがかたくなるというのが、ここまでの結論です。

しかしよくよく考えてみると、アタマがやわらかいおじいちゃんもいます。みんながみんなカタブツというわけでもないじゃないですか。

豊富な経験や知識をもとに話をされるので、ぼくのような若造はただただひれ伏すのみ、みたいなおじいちゃんもいることにはいるんですよね。

すなわち、みんながみんな年をとるとアタマがかたくなるというわけでもないようなのです。

ということは、なにかしら自分のアタマをやわらかく保つ方法があるのではないでしょうか。希望が見えてきた…!

自分のアタマをやわらかく保つためには?

ちきりんさんの『自分のアタマで考えよう』という本には、以下のようなことが記されています。

 知識が思考の邪魔をするため、誰にとっても、自分が詳しい分野において斬新なアイデアを受け入れることは、よく知らない分野においてそうするよりははるかにむずかしいことです。
 よく知らない分野であれば、革新的なアイデアを肝要に受け入れる人も、自分の専門分野については驚くほど保守的であったりします。保有する知識が多すぎて、どんなに斬新なアイデアを聞いても頭の中からひっぱり出してきた知識によって「そんなことは不可能だ。できるわけがない。」と否定してしまうからです。
 「詳しくなればなるほど、その分野での新しいアイデアに否定的になる」傾向が見られたら、「知識が思考を邪魔している」ことを疑ってみた方がよいでしょう。

要するに、いま自分が対面しているものごとに対して考えることをせずに、自分のアタマにある知識だけで判断してしまうことがあるというわけです。

知識に執着してしまうことは、アタマがかたい一つの原因と言えそうです。では、反対にアタマをやわらかく保つにはどうしたらよいのでしょうか?

本のなかでは以下のように続いています。

反対に思考力のある人は、自分の専門分野においてさえ革新的で柔軟です。それは彼らが常にゼロから考えているからです。時代が変わり、世の中が変わり、新しい現象が出てきて新しい情報に触れたとき、過去の知識ではなく、目の前の情報から考えることができるかどうか。それが「考えることができる人」とできない人の分岐点です。もしくは、「時代の変化に気がつく人」と気がつかない人の違いともいえます。
 また、知識の中で特に影響力が大きいのは、成功体験と結びついた知識です。過去に大成功したという記憶(それ自体がひと固まりの知識です)が、新しい情報に触れたときにシャシャリ出てきてゼロから考えることを妨げます。そうすると、せっかく時代の変革期に新しい情報に触れているのに、過去の知識に囚われてしまい、先入観をもたずに考えることができなくなります。

自分か知っていることでも知らないことでも、ゼロベースでものごとを考えることは、アタマをやわらかく保つための一つの方法と言えそうです。

年をとるにつれて、知識や経験は蓄積されてくるものです。それ自体は素晴らしいことですが、知識や経験にがんじがらめにされるようでは柔軟性を失ってしまいます。

むしろ、知識がある人、成功した人ほど注意すべきですね。

この点から考えると、若者はアタマがやわらかいという論も正しく思えてきます。ぼくなんかも知識も経験もないので、基本的にゼロベースから考えるしかないですからね。

ゼロベースでものごとを考えることができる?

おじさんになってもアタマをやわらかく保つための方法として、常にゼロベースで考えることは意識したいですね。

知識がつけばつくほど、専門的になればなるほど、逆にゼロから考えるように心がけていく必要があります。

こう考えると、年をとると絶対アタマがかたくなるとは言えなさそうですね。

ただし、無意識のうちに知識や経験にとらわれないように、常に自問する必要はあります。

そして、突拍子もない意見を頭ごなしに否定せず、いったんゼロから考えるクセをつける必要もありそうです。

だからといって、知識や経験をないがしろにするわけではありませんよ。ゼロベースで考える「思考力」と「知識や経験」を混同せず使う必要があるということです。

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想像以上!「なんでもかくノート」を使った効果を解説。

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「なんでもかくノート」というのをこっそりやっています。

ふと気づいたことから読書メモ、ごはんのレシピまで、ホントになんでも書くノートです。

ソースはこちら。京都大学ではやってるみたいですね。

参考:京都大学で流行中! 「なんでもノート」を使ってQOLと処理速度をあげる方法

ざっくりとした感想ですが、なんだかアタマがぐちゃぐちゃしたときとかに自分の考えていることを書くとスッキリします。

友だちが家にあそびにくると、けっこうな確率で「なにこれwなんでもかくのw」と言われますね。

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そして、そのたびに適当に「そーだよ。なんでもかくんだよ。」と言うだけにとどまっているので、ここらで効果とか感想とかをまとめておきます。

シンプルに「なんでもかく」だけですが、その効果は想像以上でした。

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「なんでもかくノート」とブログの違い

日々の生活で気づいたことや読んだ本のメモはブログにかくことが多く、文字どおり「雑記ブログ」になっているくろろーぐ。

なんでもかくという点では、ブログとノートの役割がかぶっているようにも思えます。

そんなぼくのブログと「なんでもかくノート」の違いは以下の3つです。

  1. 本当になんでも書けるかどうか
  2. サクッと書けるかどうか
  3. 絵や図を使えるかどうか

以下で詳しくお伝えしますね。

1.本当になんでも書けるのが「なんでもかくノート」

文字通り「なんでも」書けるのが、「なんでもかくノート」です。ブログも雑記でなんでも書いてあるとはいえ、記事にならないレベルのことは書きません。

ゆえに、「なんでもかくノート」はTwitter的な使い方になることが多いです。だれにもシェアしないTwitterみたいな。

2.すぐに書ける手軽さ

意外と現代っ子は見逃しがちだと思っているのですが、パソコンやスマホよりもノートのほうがサクッと書きはじめることができるんです。

確かに、長文になってくるとパソコンやスマホで入力したほうが早いです。ただ、つぶやきレベルだとノートの方が意外に早いんですよ。

「おっ!書きたい!」

と思ったときに、ズバッとノートを開いてサッと書くだけ。

スマホからツイートするほどでもないことでも、いったんノートに書き出せばスッキリしますよ。

3.絵や図でメモしたいときにもOK

たまにありませんか?言葉にするよりも絵のほうがわかりやすい、というとき。言葉の前にビジュアルが出てくるというか。

図にした方がラクでしょ、みたいなときはノートのほうが圧倒的に便利です。ベン図とか、なかなかパソコンで書けないじゃないですか。

そんなときでも、紙のノートであればさらさらと書くことができるので、もどかしく思うこともありません。

「目の前のことに集中できる」のが最大のメリット!

以前までは複数のことを同時にやれると思っていたのですが、すぐにキャパオーバーしてしまうことがほどなく判明しました。

なので、一つのことだけに集中するよう努力することに。

そんなときに「なんでもかくノート」にアタマの中をとりあえずメモしておけば、いらないことに気をとられずすみます。

パソコンの使わないデータを外部のハードディスクに移して、動きを軽くするときみたいなイメージ。

最近は、前日の夜もしくは起きてすぐに、一日でやることを全て書き出してから活動をはじめています。

そうすると、「あれ?今日はあと何しないといけないんだっけ…」となることがほぼないので、時間を有効に使えてよいですよ。

まずは適当なノートではじめてみよう

「なんでもノートはじめてみたいけど、やっぱり良いノート買ったほうがいいのかな…」

と思っているかもしれませんが、とりあえずそこらへんのノートでいいんじゃないかと。きばらずにいきましょう。

ヘタにいいノートだと、なんかいいこと書かないと…という考えになりかねません。「どうせ安いんだし、なんでも書いてやれ〜」くらいのほうが習慣にもしやすそうです。

なんでも書くのであればむしろ、そんなに気合を入れずに自然体のほうがよいと思ったので、安いノートをいまは使っています。…単純によいノートを買うのがもったいなかったのもありますが。

とりあえずモヤモヤしたら書く、夜には一日のふりかえりを書いてから寝る、というふうにある程度のルールは決めると続けやすそうです。

個人的な感想ですが、なんでもかくノートを使いはじめてから「意外に自分っていろんなことを考えてるんだ…!」と気づくことになりました。

自分が覚えていないだけでいろんなことを脳みそは忘れていっているみたいですね。

「なんでもかくノート」、興味があればぜひお試しあれ。

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