新卒でフリーランスになって月144万円かせぐまでの全てをnoteにまとめました

納得がいかない感覚こそが現実かつ信じたほうがいいこと

自分のなかにするすると入り込もうとしてくる、わかりやすい言葉。

「子どもは愛らしくなくてはならない」

「年をとったらこれまでの人生をふりかえらなくてはいけない」

世代にしろなににしろ、ついつい私たちはものごとをグルーピングして考えがちです。

ただ、そんなすかっとした言葉よりも、どこか一筋縄ではいかないところ、納得しないところがあるものを信じたほうがよいでしょう。それこそが現実かと。

愛らしかったかはギモンの子ども時代

突然ですが、話はぼくの子ども時代にさかのぼります。

ぼくは、一般的な子どもの「かわいさ」を備えていない子どもでした。
ここでいう「かわいさ」とは、跳びはねてキャッキャしている子どものかわいさのことを指しています。

周囲の大人からは、「かわいいね〜」と言われた記憶はほとんどなく、「おとなしいねぇ〜えらいね〜」と多くの大人からほめられていた記憶があります。

当の本人は「黙っているだけで何がえらいんだよ」という感じでしたが、いま思い起こすと珍しい子どもだったように思います。

そのくせたまにアグレッシブさを発揮し、当時コイがいてかなりの深さがある池に長靴で入ろうとしました。家族総出で怒られた記憶があります。

世の中のモノサシを疑ってかかる大学時代

義務教育をそれなりに楽しみ、大学へ入学。いきなり世の中が近くなったぼくは、いろいろなことを疑ってかかりました。

デモ隊の衝突が報道されていた当時のタイへ行ってみたり、はたまた昆虫を食べてみたりと、幅広い悪行をくり返しました。

意識高いかどうかはよくわかりませんが、とりあえずギモンに思ったことはやってみる精神で大学生活をいまも送っています。

上記のようなことを周囲に話すと、「おもしろい!」と言う人もいれば、「やめたほうがいいんじゃない?」と言う人もいます。

どこかでは「こいつ人外だろ」とか思われてるんですかね、知ったこっちゃありませんが。

どこか納得がいかない感覚こそがリアル

かわいくあるべきな子ども時代をおとなしく過ごし、大学時代はとりあえず試してみる精神でいろいろなことをやりました。

どこか納得がいかない感覚があれば、確かめてみました。本当にそれってできないの?やったことないのになにがわかるの?と思ったことはやってみました。

そのすかっとしない感覚こそが現実です。世の中の、他人のモノサシでははかれないことこそがリアルなことなのです。

そもそも、なにか一つのモノサシではかることができていたら、人類はこんなに苦労していないんですよ。なので、できるだけフラットに考えることが大切なのではないでしょうか。

自分を納得させようとして、適当なモノサシをあてていてもしようがありません。納得しない存在をそのまま受け止めてこそ、はじめて現実と向きあえるというものです。

自身が偏見を持っていないか、ぼくも含めて気をつけたいところですね。