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コミュニケーション能力。つまりコミュ力が高いというと、ついつい飲み会の席で盛り上げることができる人を想像してしまいます。
ぼくも、飲み会などで盛り上げ上手なかたを見ると「コミュ力たかいな…」と思っていたのですが、ちょっと違うと思うようになったんですよね。
というのも、場を盛り上げる力があることと、正確にものごとを伝える力があることというのは、全く別ものなんです。
コミュニケーションというと難しいですが、言い換えたり分解しながら考えてみるとわかりやすいんじゃないかと。
コミュ力は日本語力
結論から言うと、コミュ力は日本語力です。
もとごとを相手にしっかりと伝えることができ、かつ相手からの返答をしっかり聞いて理解できることが、コミュニケーションにおいては大切な力なのではないでしょうか。
何事においても日本語力というのは重要で、それが一般的に言われるコミュ力なんじゃないかと思っています。場を盛り上げる話し方とかじゃなく、きちんと伝えて相手の返答を理解することができる力。それがないと双方がイライラする結末になりますよね…。
— 黒田 剛司 (@ktsuyoc) 2016年10月26日
相手の話を理解するためにしつこく質問するのもナンセンスなので、ときには推測を入れながら、話を聞いていく必要もありますよね。これもコミュ力。
結論、相手の考えていることを汲み取りながら、自分のことを伝えることができる人がよいという。過不足なく汲み取るのはなかなか難しいのですが。そこでどうやってすり合わせていくかがキモ。
— 黒田 剛司 (@ktsuyoc) 2016年10月26日
前提の条件すりあわせていく力
また、相手と自分の前提が違うときにすりあわせていくことも、コミュ力がなせるワザでしょう。
本当にコミュニケーションができる人は、相手にどのようなバックグラウンドがあってこの話をしているのか、というところまで考えているものです。
あとは、知識の差もコミュ力に関係していますね。「どちらがよく知っているか」ということではなく、「知識の差がある前提で質問や補足をすることができるか」ということ。質問や補足で確認しながら、話をすすめていけるのもコミュ力です。
— 黒田 剛司 (@ktsuyoc) 2016年10月26日
…じゃあ、コミュ障ってなんだよ
コミュ障というと、一般的には「ぼ、ぼぼb、ぼくは…お、おおおにぎりが…た、たたt、食べたいんだな」のように、どもった話し方をする人のことを指している気がしています。
が、ちょっと違います。
話のつじつまが合わなかったり、日本語として伝わりにくい話し方をする人のほうがよっぽどコミュ障なんじゃないかと。
そして、コミュ障というのはぼくの中ではどもる人を一概に指しているわけではないなと。テンションが高くてはっきり話せていようが、てんで話のつじつまが合わないほうがよっぽどコミュ障。たまに自分でも「あれ、つじつまが…」ということはあるので、あんまり言えたことじゃありませんが…。
— 黒田 剛司 (@ktsuyoc) 2016年10月26日
となると、コミュ力が高いとは?
わけもわからないまま、その場をドワー!っとわかせることができるというのも、もちろん素晴らしいことです。
ぼくはそういうことがあまり得意ではないので、ちょっとうらやましかったりしてます。
ただ、その盛り上げ上手な人が「コミュ力が高い」人なのかというと、また別問題なんじゃないかと。
盛り上げ上手なかたとまじめに話してみると、「(なにを言っているのかわからない…)」的な状況に意外とおちいることもあります。
ゆえに、一概に盛り上げ上手がコミュ力高いとは言えないのです。
つまるところ、コミュ力はテンションの問題ではなく、日本語力が大きく関係しているので、コミュ力を鍛えることは必要であり、また可能なのではないでしょうか。
日本語力は読書である程度は鍛えることができますので、サクッと読める小説あたりを攻めてみるのもありかと。