コラム

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23歳になったので、やりたいことをふんわり考えてみた。

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完全なる私事ですが、5月21日で23歳になりました。黒田です。

年をとったから急にやりたいことができるというわけではありませんが、整理という意味も込めて、23歳でやりたいことをまとめてみました。

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月収100万円は突破してみたい

やっぱりこれですね。

「お金が欲しい!!」というよりは、それを実現したときの変化がすごく気になるんです。

自分がどう変わるのか。まわりはどう変わるのか。はたまた、なに一つとして変わらないのか。

お金とのキョリがあった学生時代

今まで学生をやっていたということもあり、お金のナマナマしいやり取りとは遠ざかっていた(遠ざけられていた?)んですよね。

でも、フリーランスになってみて、「世の中でお金が動いている」ことをヒシヒシと感じているわけです。あ、もちろんお金じゃない価値で動いている世界もたっくさんありますよ。

話を戻しますと「人を動かし、世の中を動かすお金を手にしたときに、いったいどんな変化があるのか」には強烈な興味がわいています。

「月収100万円」というのは、自分にとっても、人にとっても、わかりやすいお金持ちの基準ではないでしょうか。

ただただ働けば到達できるところではないのも面白いですね。

時給1,000円だったら1週間で250時間を、1日だと35時間以上を仕事に費やさなければならないので、物理的にムリじゃないですか。

ひとまずは仕組みを作っていくのが近道かな、というところですね。

どうやろうかな…。楽しみです。

もっといろんな世界を見てみたい

こりゃまた非常にふんわりとしておりますが…。

知らない世界を見るたびに、そのさらに先の知らない世界が見えてくる感覚と言いますか。

改めて言うまでもないですが、果てしないんですよ。世界って。

ただ、そんななかでも不変の原理のようなものはあって、それを理解するために知らない世界を見たいというのもあります。

世の中っておもしろいぞ…というのをもっと見たいし、おもしろい世の中のつくり手になりたいんですよね。

クラフトワールドというか。ここまで書いて気づきましたが、これがよく言われるムラなんじゃないかと。

リアルなのかバーチャルなのかはまだわかりませんが、ぼくはいずれ一つの世界を作っていくんでしょうね。

いつかは形になる世界のためにも、まだまだ外の世界を見るべきだなと。

意識高いだけのオッサンに自分がならないように気をつけながら、いろんな世界へ首を突っ込みたいなと考えています。

ポータブルなスキルを身に着けたい

月収100万円でありながら、かつ身動きの取りやすい状態がベストだなと。

いま本業にしているウェブの技術なんかもそうですが、極論、宇宙でもできる仕事を持っておくべき。

場所にとらわれない仕事をつくるスキルもそうですが、「ふらっと行った場所で、いつの間にか仕事が生まれてた」くらいの感じをそれとなくできるようになれば最高だなと。

仕事がないから身動きが取れない、なんてことほど残念なことはありません。

むしろ、行ったその先で仕事をつくれるくらいになりたいものです。

「宇宙でも仕事つくれるぜ!ばっちこーい!」というほうが、断然楽しいじゃないですか。

23歳がなんかいろいろ楽しくなってきた

あんまり具体性とか考えずに、ふんわり書いてみました。

ふだんはわりとガチガチの記事が多いわけですが…。

参考:2017年5月の目標。インプット、地域研究、仕込み

参考:「自制心を鍛える」なんて、たわごとだ。感情に頼らず自制する方法

ひとまず、楽しくなりそうでなによりだなぁといった印象です。

これもいろいろと自分で選んで、セコセコと手を動かしているからだなと。

年をとるというとネガティブな印象がついて回ることが多いですが、考え方しだいではいくらでも楽しくなりますよね。

おじいちゃんになってもこれくらい楽しめればいいですねぇ、と今から老後の心配をする23歳でありましたとさ。ちゃんちゃん。

ほしいものリストもございますので…なにそつ…

>>ほしいものリスト

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満員電車に揺られることの生産性の低さは異常

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満員電車、どうにかして回避できないものですかね。

朝と夜のラッシュ時だけ…と思いきや平日の昼間に満員だったり、もはや神のみぞ知る。

ラッシュ時に電車で移動しようものなら終了です。

スマホを見るなり本を読むなりしようとしても、それもまた一苦労。

下にモノでも落とそうものなら、さようなら…。

リモートワークなりフレックスタイムなり、それが無理なら人口そのものを分散させるなり、なんとかして満員電車なくしてほしいですね。

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満員電車の生産性はマイナス

そもそも、満員電車の中でどれだけ生産性をあげようとしてもムリです。

前提として生産性がマイナスなんですよね。

体力を持っていかれる

「筋トレをして体力をつければOK!」という話でもなく、肉体的にはもちろん、精神的にも体力を奪われるのが満員電車です。

本物の戦場以上にストレスがかかるというデータも。

ジェット機のパイロットレベルでストレスがかかっているという話もありますね。

しかも、満員電車で受けたストレスは、乗車したあと数時間は身体に悪影響があるんだとか。

朝っぱらから仕事の前に何やってんだろ…と思ってしまうわけです。

本もまともに読めない

満員電車内では、本を開くことすらテクニックがいります。

というか、そもそもカバンから本を出すまでが一苦労。

本を開いて読みはじめようにも、電車が駅にとまるたび、そこらじゅうからグイグイ押されます。

身のこなしの問題なのかな…。

痴漢リスクがある

で、男性にも痴漢リスクがあります。

痴漢されるほうはまれ(でも、一定数あるらしい)なのですが、痴漢に間違われる危険があるのです。

だって、あれってやったやってないに関わらず「この人、痴漢です!」と言われたら終わりなんですよね?

確率がどれくらいなのかわかりませんが、それを言われたら「人生終了の寸前まで一気にGO!もうちょっとだZE!」なんですよね?

とかなんとか、ムダにぐちゃぐちゃと考えること自体、生産性が低いなと。

満員電車はなんとかして回避するべき

ぶっちゃけると、ふだんの通勤は1分なので、満員電車に乗るとその1日は引きずるようになりました。

関連:ぼくの通勤時間は「1分」です。メリットもデメリットもありますよ

というか、毎日の通勤がデフォルトで満員電車のかたって、体力どうなってるんですかね。

会社に着くまでに1日の体力をあらかた使いはたすんじゃないでしょうか…。

Uberを気兼ねなく使える身分になりたい

「その1日にどれだけ生産性を高めて働けるか」は非常に重要なので、そこに対して多めのお金をはらうのはオッケーですね。

もはや電車なんか乗らないでタクシー…もすっ飛ばして、Uberを気軽に使える身分になりたいなと。

道が多少こみあってようが、あの快適な車内なら仕事もできますし。

関連:はじめてのUBER(ウーバー)で、運転手さんにあれこれ聞いてみた。

満員電車に乗るたび「もっとしっかり稼がないと…!」となるので、地味によいモチベーションになっています。

満員電車がなくなれば、生産性がブチ上がる

肉体的にも精神的にもこれだけすり減る乗りものは、生産性が低いと言わざるを得ません。

せめて朝だけでも満員電車がなくなれば、それだけで全体の生産性はかなり上がるはずです。

通勤ラッシュでムダになっている時間をゴリゴリに計算したことがあるのですが、それはそれはおぞましい数字が出てきました。

日本から完全に満員電車がなくなった日には、生産性がブチ上がるんじゃないかな…とか思ったり。

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忘れがちな、日々の生活に「余白をとる」ことの大切さ。

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余白って大事だなと。

最近、ありがたいことにいろんなお仕事ができていまして。

それはよいことなのですが、いかんせん段取りが悪く、ちょっとバタバタするときもあります。

「忙しいことは幸せなことだ!」というのはごもっともな意見でありますが、日常に余白がないのはよくないんですよね。

極端な話、余白がないことにはお先真っ暗なのであります。

これからは意図的に余白をつくっていきたいなと、そんなお話です。

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アイデアは「余白」から生まれる

経験にもとづく厳然たる事実なのですが、新しいアイデアって余白から生まれるんですよね。

たとえば、ぷらっと散歩しているときとか、とりとめのない話をしているときとか。

そんな一見なんでもないときにポッとアイデアが出てくるんです。

逆に、机に向かってカタカタとキーボードを打っているときには、アイデアって出てこないんですよね。

パソコンを見て「う〜〜〜〜ん」と、いくらきばったところで新しい考えは訪れないものです。

つまるところ、なんでもない時間をいかに作るかがアイデアには重要なんじゃないかと。

余白は「空白」ではない

はっきり言っておきますが、余白と空白は違います。

いっけん雑多に見えるなにかをする時間が「余白」、ボーっとホントになにもしないのが「空白」です。

紙に絵を描くときに、その紙の白い部分が「余白」、紙から外の机は「空白」と例えることもできます。

いくら机に絵を描こうとしたところで、完成した絵には反映されませんよね。机は汚くなりますが…。

と同じように、いくら空白をつくったところでアイデアには反映されないのです。

もちろん、休む時間を取ることも大切ですよ。

ただ、「稼働している時間のほかは休むことしかできない…」というやり方では、いつまでたっても新しいアイデアは生まれません。

もちろん、アイデアの実現もしないでしょう。

人生に余白はあるか

急に話を大きくしますが、人生にも余白が必要ですよね。

「新しいこと、おもしろいこと、楽しいことは余白から生まれる」というのは、これからずっと死ぬまで通用する、一つの法則じゃないかと。

まぁ、余白だらけの人生もちょっとどうかと思いますが…。

ぼくの現状としては、ひとまず意識的に余白を作っていきたいんですよね。

余白があることで、より広がりが出てくるんじゃないかと。

もし余白を作ってみてダメっぽかったら、余った余白でまた考えればよい話ですし。

うまく余白を作りながら、楽しく日々を送っていきたいと思う今日このごろです。

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『新卒フリーランス』は1ミリも価値がないので、早めに卒業します。

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「新卒フリーランス」って、ただのネット用語だなと。

その肩書にはなんの意味もないんですよね。

インパクトはあるので、ことあるごとに使っていこうかなとは考えていますが…。

驚いたことに、定義上は卒業してから3年間は新卒あつかいなんですね。

ですが、新卒フリーランスはさっさと卒業したいですね。

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「新卒フリーランス」の価値

冒頭でも書いたとおり、新卒フリーランス自体はただのネット用語です。

実際、町で通りすがりの人に「ぼく、新卒フリーランスなんですけど…」と話しかけても、「…はぇ?」と言われて終わるのが関の山ですよ。

(じゃあ「ぼく、新卒の会社員なんですけど…」と話しかけるかと言われると、それもそれでないでしょうけども…)

んで、新卒でフリーランス・会社員のどちらになるにせよ、価値があるのは「その人がやる仕事」、たったそれだけです。

今までどんな仕事をしていて、現在はどんな仕事をしていて、これからどんな仕事をしていくのか、そこに価値があるんじゃないかと。

新卒で就職した人とはカードが違うだけ

ぼくは別に「新卒フリーランスになった人は価値がない!!」と、盛大な自己否定をしたいわけではありません。

それはさすがにブーメランがでかすぎます。自分で投げたブーメランで即死しますね、それ。

あくまで言いたいのは、「新卒フリーランスという肩書」には価値がないということ。

仕事という観点で見れば、いろんな違いがあるにせよ、フリーランスも会社員も同じなんですよね。

仕事に対してどんなカードを切ることができるのか、という点が違っているだけなんじゃないかと。

切り札が早めに欲しい

で、結論としては、切り札をさっさと手に入れたいなと考えていまして。

「いでよ!伝説のカード!」みたいなやつです。

もうちょっと具体的にいえば、他の人にはない経験ですね。

「新卒フリーランス」をテコにしないと得られないような、また同じ新卒フリーランスでも手に入れることが難しいような、経験を得たいなと。

もちろんスキルを身に着けていくのも大切です。基礎をおろそかにするのはナンセンスですよ。

ただ、単にスキルを身につけるだけでは、仕事の広がりはすぐに限界をむかえそうな感覚がなんとなくあるんです。

仕事の仕組みを作ってみたい

ひとまず直近の動きとしては、仕事の仕組みをつくるところをやってみたいなと。

(「仕事の仕組み」というと、なんかマルチっぽい香りがしないでもないですが、そういうやつでは断じてありませんので…)

一つの経験としてもそうですが、今後の広がりという面でも早めに手をだすべきところでしょう。

現状で救いなのは、まだまだ頭をひねるところがあって、改善点が山盛りなところですね。

いろんな場面で自分の頭で考える必要がありますが、それを楽しんでやれているので非常によい感じです。

というわけで、引き続き新卒フリーランスをうまく活用しながら、かつそこからの脱却をめざして、やっていきます。

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ぼくの通勤時間は「1分」です。メリットもデメリットもありますよ

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自慢じゃありませんが、ぼくの通勤時間はすごく短いです。

毎朝の通勤は、「部屋のドアをあける→階段の手前にあるドアをあける→階段を降りる→数回ドアをあける→職場」って感じですね。

要するに、自宅から出ておりません。まぁ、在宅のお仕事ですし。

ただ、これを期に

  • 通勤の時間は平均でどれくらい?
  • 通勤の時間が短いメリット・デメリット
  • 通勤の時間が長いメリットってなに?

というところを考えてみました。

基本的には「通勤は短いほうがいい!」と思っている人ですが、いいところも悪いところもありますよね。というお話です。

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通勤時間の平均は意外と長い

諸説ありますが、都市部(東京や大阪)の通勤時間は「1時間以上」と「1時間以内」が半々といった具合になっています。

で、全体でいちばん多いのが「1時間程度」という。往復で2時間。

つまるところ、1日のうち12分の1は通勤に時間をかけているわけです。

チリもつもれば、恐ろしい

先ほど書いたとおり、「1日の12分の1」を通勤時間にするとします。

そして仮に1ヶ月に20日働くとします。で、これが1年になりますと、積み上がった通勤時間はこんな感じ。

12分の1 × 20日 × 12ヶ月 = 20日

かなりザックリとですが、1年のうち20日は通勤についやす計算になります。

これで40年、定年まで働くとすると…

20日 × 40年 = 800日

退職までに通勤で使う時間は「およそ2年半」になりますね。長い…。

仮に通勤時間が「1分」だとしたら

たとえば、の話ですが、何かしらのパワーで通勤時間を「1分」にしたとすると…

2分(1日の通勤時間) × 20日(1ヶ月で働く日数) × 12ヶ月 × 40年 = 19200分(13日)

40年で13日、だいたい2週間くらいになりますね。

2年半と13日、どちらがどれくらい短いかはわかるでしょう。そういうことです。

通勤時間が短いメリット

ここからは通勤時間が短いメリットを

  1. 時間を節約できる
  2. 満員電車のストレスとは無縁
  3. 忘れものをしても問題なし

の順に紹介します。

1.時間を節約できる

これにつきますね。

先ほど説明しましたが、通勤に1時間かかるのと1分しかかからないのとでは、圧倒的に時間の差が出てきます。

その分、落ち着いて作業する時間をとることができるので、仕事も進むってもんです。

2.満員電車のストレスとは無縁

これも個人的に大きい。

あの「輸送されてる」感が満載の満員電車に乗らなくてもよいのは、大きなメリットです。

別に多少こんでいるのはよいのですが「スマホすら見れない、本なんてもってのほか」なんてところで30分もいたら、時間がもったいないじゃないですか。

ムダに疲れてしかもなにもできない、という時間を過ごさなくてよいのは、かなり大きなメリットです。

3.忘れものをしても問題なし

人間ですので、どうしても忘れものをすることもあります。

そんなときでも大丈夫、階段をバタバタバタとのぼって、部屋から忘れものをとってくればよいのですから。

忘れものをして何かに支障がある、なんてこともなし。だって取りに戻れるんだもの。

通勤時間が短いデメリット

とはいえ、通勤時間が短いことは、メリットだらけではありません。

  1. 気分転換がむずかしい
  2. 強制的に何かをする時間が減る
  3. 買い食いできない

という、デメリットもあるにはあるんです。

順番にいってみましょう。

1.気分転換がむずかしい

変化がない、というのは個人的にはデメリットです。

ほら、やっぱり気分が変わると効率があがるじゃないですか。

ぼくの場合は一つの建物から出ないのも大きな理由かもしれません。

ま、散歩いけば?という話ではありますが、意図的にやらないといけないのはデメリットですかね。

2.強制的に何かをする時間が減る

通勤って、なにかしらの作業をさせる強制力がありませんか?

電車の場合は、すでに時間がキチッと決まっているので、強制的になにかをすることがやりやすいんです。

混んでなかったら「本読むぞ!」とか。混んでたら「オーディブル(本を朗読してくれるサービス)聞くぞ!」とか。

〆切を意図的につくることで、集中して取り組むことができるじゃないですか。

まぁ、ぼくは「ごはん炊けるまでにブログ書くぞ!」とかやってるのですが。

3.買い食いできない

高校生かよ!という話ですが、帰りにどこかでおいしいものを買うことは、通勤時間が短いとやりくい。

買い食いに限らず「評判のおいしいお店にちょっと立ち寄る」なんて芸当も、「退社・即・帰宅」では不可能なのです。

ムダづかいしないという点ではよいことかもしれませんが、たまにはおいしいものが食べたくなるんですよ…。

通勤時間が長いメリットってなんだろう

逆に、通勤の時間が長かったら…と、考えてみます。

ざっと、メリットはこんな感じですかね。

  1. 強制的に一定の時間をとれる
  2. 通勤によってそれなりの運動ができるかも
  3. 途中下車できる駅が多い

一定の時間をぜったいに取れるのは、通勤時間が長いメリットでしょう。

また、都内だと乗りかえで運動できるのも利点ですね。

車通勤だと…なんとも言えませんが。

途中で降りられる駅が多いのも、いいところなんじゃないかと。

ただ、「総じて時間へのパフォーマンスが低いよな…」というのがぼくの意見。

だって

  • 部屋でしっかり集中して勉強する
  • 外で風をあびながらランニングする

というふうに、メリハリがあったほうがいいじゃないですか。

日々のストレスを考えると、通勤の時間は徹底的にショートカットするべきでしょう。

通勤時間はもっと見直すべき

結論、できるかぎり通勤時間は短いほうがよいです。

時間を大事にできるから、というのがひとつ大きな理由ですね。

「会社の近くは家賃たかいからなあ」とか思っているかたもいるでしょうが、「時間がかかるのはどっちなのか」という視点ももつべき。

個人的には、「家賃+交通費」を1ヶ月あたりで計算してみて、職場の近くに済んだ場合の価格との差を「これだけの値段をはらったら通勤のストレスがなくなるのか…」と考えてみることをおすすめします。

みんながみんな、通勤時間を1分にすべきとは言いませんが、もっと自分の時間を大事にしてもよいのではないでしょうか。

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[お知らせ]新卒フリーランス、はじめました。

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3月に大学を卒業し、フリーランスになることにしました。いわゆる「新卒フリーランス」です。

こちらが何を言ってもやめとけと言う人もいれば、一緒に仕事をしてくださる奇特な方もいらっしゃいます。

一番おおかったのが「へーw」という回答。おもしろがってくれてるならうれしいですね。

「ちゃんと結果を出すのが一番」だという結論になっているので、目標と撤退ラインを定めて、コツコツやっていきます。

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なぜフリーランスなのか

学生時代、ぼくは就活しながらフリーランスの道も考えていました。

「就活してたのに、なんでフリーランス!?」と言われることもありますが、ぼくは「どこの登山口から山に登るか」ってだけだと思っています。

就職の道を行こうと、フリーランスの道を行こうと、目指すゴールは変わっていません。

最終的には、地元の福井県で事業をやりたいというゴールがありまして。

就活についてもそのゴールからの逆算でやっていて、結果的にフリーランスでも同じところに行き着くだろうとなりました。

つまるところ、ゴールはブレていません。

予定としては、2年後くらいには福井で働いています。あくまで予定ですが。

なので、「なぜフリーランスなのか」という質問に答えるとしたら、「そちらのほうが合っていると思ったし、目指すゴールは変わっていないから」という回答になります。

選べるべきだと思った

「最初は会社に入って、3年は働いて、それからまた考えたらいいんじゃない?」

そんな風に言われるときもありました。そんな風に思うときもありました。が、結局そのまま会社には入らずにフリーランスをやります。

就活をしていた時期もありましたが「大学を卒業したら次は絶対に会社へ」というのにだんだんと違和感をもつようになってしまい、結局こちらの道に。

会社に入りたくないわけではなかったのですが、「どうしてそれ一択なのかな…」というのは思いながら就活をしていました。

確かに、今の状況で合理的に選んだら就職が一番なのかもしれません。

ただ、あまりにもみんなが就活の方向に向きすぎていて、それでいて「就職したくない」と言う人たちもいて、なんか変だぞと。

もっと他に選ぶことができたほうがいいんじゃないか、それがフリーランスという選択肢を考え始めたきっかけでもありました。

いつかはフリーランスも合理的な選択肢になるだろうと思っています。

というわけで、まずはいったん結果を出して「新卒でいきなりフリーランスしてもいいんじゃない?」と堂々といいたいなと。

なにをするのか

これからなにをするのかを簡単に言うと、サイト制作とライターをやります。

もうちょっとかみ砕くと、メディアの記事を書いたり、会社のホームページをつくったりします。もちろんブログも更新しますよ。

やることとしては実はそんなに突拍子もないことじゃなくて、ひとまずはコツコツと日々スキルをみがいていくだけなんですね。

スキルがあればどこでもやっていけるでしょうし。淡々とトレーニングします。

フリーランスというと、自由!ノマド!カフェ!という想像をしてしまいがちですが、意外と地味な生活をすることになるでしょう。

自由かもしれませんがそのぶん責任もありますし、ノマドになることもできますが家から出ないで仕事をしているでしょうし、カフェは…そう何回もいけるものではありませんし。

コツコツと積みかさねつつ、チャンスを取りに行きます。

それってうまくいくの?

いけるんじゃないかなと自分では思っています。が、1年後には会社で働いているかもしれません。

ただ、フリーランスとサラリーマンは選べたほうがいいよね派なので、選べることをちゃんと証明するためにも、成功して方法論をまとめていきたいなと思っている次第です。

そもそも普遍的な方法論があればこんなにみんな苦労してない、という話ではありますが、サンプルの一つになれればなと。

確実に成功する見込みがあるものってあるのでしょうか。

フリーランスをしても、サラリーマンをしても、失敗するときはするもんです。

それに、失敗してもいいんじゃないでしょうか。最初から失敗をしにいく、という意味ではなくて。

話がそれましたが、要するにわからないけどやってみるしかないということです。そんなもんでしょう。

ひとまずつつましく生活します…!

なんかいろいろ言いましたが、じゃんじゃん使えるお金があるわけではありません。

ですので、ほしいものリストを公開してみることにしました。

応援してやってもいいよ!というかたはなにそつお願いします。

>>黒田剛司のほしいものリスト

お仕事ももちろんお待ちしております。WEBのこと、ライティングのこと、お気軽にお問い合わせください。

ではでは、引き続きコツコツとやります。

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2017年は「深く、狭く、極めていく」年にします。

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酉年らしく「飛躍の年に!」と言ってもよかったのですがw

年始の目標は達成することも大切ですが、「そもそも年末までちゃんと覚えていられるのか?」ということが心配になりますね。

個人的な観測ですが、年始めに立てた目標を年末にちゃんと覚えている人は1割もいません。

もはや、立てた目標をちゃんと忘れずに年末を迎えることを目標にしたほうがいいんじゃないか、というくらい。

…それはさておき。

2017年は「深く、狭く、極めていく」年にしたいと考えています。

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気がつくとまんべんなくやろうとしてしまう人です

比較的なんにでも興味をもってしまうタチでして、それ自体はいいのですが、気がつくとまんべんなくやろうとしてしまっていました。

その結果として、中途半端になることが多かったので、今年はそれを払拭しようと考えています。

関連:器用にこなすことは逃げていること?器用と器用貧乏の違い

いろいろできているというのは、なんにもできないことと紙一重なんですよね。

「◯◯はできる!」と言い切れるものをつくる

「深く、広く、極めていく」のほうが、もちろんいいんですよね。できればの話ですが。

ですが、それを目指してしまうとなにもできない人になる危険性があるのです。

なんにもできないを回避するために「◯◯はできる!」と言い切れるものをつくることを先決します。

一度やりきってしまうと、極め方のようなものがわかってくるんじゃないかと予想をしていることもありまして。

極め方を理解するという意味でも、いったん極めてしまうのがいいんじゃないでしょうかと考えた次第です。

今年もよろしくお願いします!

というわけで、文字だけを見てしまうと非常にざっくりとしていますが、今年は「深く、狭く、極めていく」年にしていきます。

健康にはもちろん気をつけつつ、年末にはしっかりとスキルがついている1年にしたいですね。

あれ…これってつまり…「飛躍の年」ということでは…ウッ、頭が…。

…今年もよろしくお願いします。

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1年の目標を立てては忘れ、また立てては忘れ…とくり返す人たちへ

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ふり返りの時期ですね。

ブログをやってみて思ったのが、自分の考えていたことがふり返りやすいということ。

記録してるんですから当たり前だと思うかもしれませんが、SNSとかに書くだけだと意外にふり返らないんですよ。

またふり返りだけではなく、次の1年にむけて目標をたてるときにも、ログを残すことは非常に有効ですよ。

1年の目標を立てては忘れ、また立てては忘れ…とくり返すだけの生活におさらばしましょう。

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忘れないように工夫しろ

もはやこれに尽きるのですが。

新しい年がはじまると、Facebook(断じてTwitterではない)のタイムラインには「新年の目標」的な投稿があふれますよね。

非常に『新年』という感じがあります。ディスりとかではなく。

それ自体は刺激になるのでもっとやってほしいのですが、「結局それができたかどうか」までしっかり書いている人って全体の1割にも満たないでしょう。

なので、まずは忘れないようにログを残しましょう。

Facebookは流れてしまうのであんまりオススメできません。ふり返りにくいですし。

達成率を考えるところまでが目標です

目標は達成したかどうかを考えるところまでで1セットです。

立てて終わりじゃありません。

目標を立てることは頭を使うのでそれだけで満足しがちです。

が、「本当に目標は達成できたのか?」というところまで考えて、はじめてちゃんとできたことになります。

ふり返ることで、次の1年への目標がより具体的に立てられるというメリットもありますよ。

ブログは1年のふり返り、目標決めに有効なツールですよ

結論、1年の目標を立てては忘れ、また立てては忘れ…とくり返す人たちはブログをはじめたらよいです。

なぜかというと、こんな特徴があるからです。

  • (まじめに書けば)SNSの投稿より読みやすい形式でログが残る
  • 目標を立てた後の行動も追いやすい
  • ネタがなくて悩むたびに目標のことを思い出せる

要するに、ブログにはあるていど強制力があり、しかもキレイにログが残るので、目標を立ててその管理をすることに向いているというわけです。

ただし、まじめに書いた場合に限るよ

ただ、すべてのメリットにおいて「ただし、まじめに書いた場合に限る」という条件がついてまわります。

「ブログをまじめに書く!」という目標を立てて、しかもしっかり達成することがまず必要なんですよね。

記事本数を目標達成の基準とすれば数字として見やすいので、来年はまずそれを目標にブログをはじめてもよいのではないでしょうか。

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アタマがかたいおじさんにならないための生存戦略。

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「若い子はいいねえ〜。アタマのやわらかさが違うもんな〜。」

そのように、おじさまたちに言われることがあります。22歳、黒田剛司です。好きな食べものは寿司です。

もちろん、ほめられるのはうれしいです。ただ、同時に「(自分もしっかり年をとるんだよな…)」とつい考えてしまいます。

それはつまり、いずれはやわらかい(と言われている)自分のアタマが、おじさまたちのようにかたくなってしまうんじゃないかというわけです。

いまのところ、人類は時の流れには抵抗することができません。え、やばいやばい。勝手にアタマかたくなっていっちゃうの?どうしよう…。

というわけで、今回はアタマをどうやってやわらかく保つかについて考えてみました。

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アタマのやわらかさってなに?

アタマのやわらかさを保つぞ!と大見得を切ったものの、そもそもアタマのやわらかさがどういうものなのか、イマイチよくわかっていません。

一般的に言われるアタマのやわらかさというのは、以下のような感じでしょうか。

  • 突然のイレギュラーにも即座に対応できる
  • 一つの考えにこだわらず、様々なアイデアを出すことができる
  • 他人の意見が自分と違う場合でも、受け入れることができる

こうやって考えてみると、アタマがやわらかい人とはこだわりが少ない人だという言い方ができそうですね。執着しない人、と言ったほうがより正確です。

ということはですよ、人間は年をとるにつれてこだわりが強くなっていき、アタマがかたくなっていくということなのでしょうか?

アタマやわらかおじいちゃんもいる

年をとるにつれて、ものごとへの執着が強くなってきて、アタマがかたくなるというのが、ここまでの結論です。

しかしよくよく考えてみると、アタマがやわらかいおじいちゃんもいます。みんながみんなカタブツというわけでもないじゃないですか。

豊富な経験や知識をもとに話をされるので、ぼくのような若造はただただひれ伏すのみ、みたいなおじいちゃんもいることにはいるんですよね。

すなわち、みんながみんな年をとるとアタマがかたくなるというわけでもないようなのです。

ということは、なにかしら自分のアタマをやわらかく保つ方法があるのではないでしょうか。希望が見えてきた…!

自分のアタマをやわらかく保つためには?

ちきりんさんの『自分のアタマで考えよう』という本には、以下のようなことが記されています。

 知識が思考の邪魔をするため、誰にとっても、自分が詳しい分野において斬新なアイデアを受け入れることは、よく知らない分野においてそうするよりははるかにむずかしいことです。
 よく知らない分野であれば、革新的なアイデアを肝要に受け入れる人も、自分の専門分野については驚くほど保守的であったりします。保有する知識が多すぎて、どんなに斬新なアイデアを聞いても頭の中からひっぱり出してきた知識によって「そんなことは不可能だ。できるわけがない。」と否定してしまうからです。
 「詳しくなればなるほど、その分野での新しいアイデアに否定的になる」傾向が見られたら、「知識が思考を邪魔している」ことを疑ってみた方がよいでしょう。

要するに、いま自分が対面しているものごとに対して考えることをせずに、自分のアタマにある知識だけで判断してしまうことがあるというわけです。

知識に執着してしまうことは、アタマがかたい一つの原因と言えそうです。では、反対にアタマをやわらかく保つにはどうしたらよいのでしょうか?

本のなかでは以下のように続いています。

反対に思考力のある人は、自分の専門分野においてさえ革新的で柔軟です。それは彼らが常にゼロから考えているからです。時代が変わり、世の中が変わり、新しい現象が出てきて新しい情報に触れたとき、過去の知識ではなく、目の前の情報から考えることができるかどうか。それが「考えることができる人」とできない人の分岐点です。もしくは、「時代の変化に気がつく人」と気がつかない人の違いともいえます。
 また、知識の中で特に影響力が大きいのは、成功体験と結びついた知識です。過去に大成功したという記憶(それ自体がひと固まりの知識です)が、新しい情報に触れたときにシャシャリ出てきてゼロから考えることを妨げます。そうすると、せっかく時代の変革期に新しい情報に触れているのに、過去の知識に囚われてしまい、先入観をもたずに考えることができなくなります。

自分か知っていることでも知らないことでも、ゼロベースでものごとを考えることは、アタマをやわらかく保つための一つの方法と言えそうです。

年をとるにつれて、知識や経験は蓄積されてくるものです。それ自体は素晴らしいことですが、知識や経験にがんじがらめにされるようでは柔軟性を失ってしまいます。

むしろ、知識がある人、成功した人ほど注意すべきですね。

この点から考えると、若者はアタマがやわらかいという論も正しく思えてきます。ぼくなんかも知識も経験もないので、基本的にゼロベースから考えるしかないですからね。

ゼロベースでものごとを考えることができる?

おじさんになってもアタマをやわらかく保つための方法として、常にゼロベースで考えることは意識したいですね。

知識がつけばつくほど、専門的になればなるほど、逆にゼロから考えるように心がけていく必要があります。

こう考えると、年をとると絶対アタマがかたくなるとは言えなさそうですね。

ただし、無意識のうちに知識や経験にとらわれないように、常に自問する必要はあります。

そして、突拍子もない意見を頭ごなしに否定せず、いったんゼロから考えるクセをつける必要もありそうです。

だからといって、知識や経験をないがしろにするわけではありませんよ。ゼロベースで考える「思考力」と「知識や経験」を混同せず使う必要があるということです。

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「価値観が合う」なんてことは100%ありえない理由

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「わー!キミとおれは価値観が合いそうだね!」

新しく人にあうことが続くと、比較的よく言われます。

相手はこちらと仲よくしたいから言っているし、おそらく本当に「価値観が合う」と思って言っているのでしょう。

ただ、ぼくに言わせてみれば「価値観が合う」ってありえませんよ。冗談でも言わないほうがお互いのためです。

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カンペキに価値観が合う人、いた?

価値観が合いそう!となかば適当に話をする方を問いつめるつもりはありませんが、今まででカンペキに価値観が合う人いましたか?

家族であれ、友人であれ、恋人であれ、カンペキに価値観が合う人はいません。双子ですら価値観がまったく同じということはありえないでしょう。

その人の生まれもった性格と、これまでにいた環境、やってきたことによって人間の価値観はつくられていきます。

これらがすべて同じ人はいません。自分の経験は自分しか経験していませんし、ゆえに自分の価値観は自分だけのものです。

そんな中、価値観が合うことがありえるのでしょうか?

ぼくだったら「価値観が合いそう!」と言われた時点で、なんかねらいがあるんじゃないか…と一歩引いてしまいますね。

価値観が「似ている」人はたくさんいる

価値観が合う人はいません。しかし、価値観が「似ている」人はたくさんいます。

たとえば、ぼくが「価値観似てるなあ」と思うのは、おいしいものが好き、旅行が好き、本が好き…などといった方です。

その人たちとドンピシャで価値観が合うなんてことはありませんが、ある部分においては仲よくすることができます。

当然、こちらが受け入れられないこともありますが、そこでショックを受けずに「あっ、これは違うな」と把握してしまいます。

どこが合っていて、どこが合わないのか。ここの判断をあやまると人間関係はこじれるんじゃないでしょうか。

合わないところを把握してから、人間関係がはじまる

仮に合わないところがあったとしても、それは変えようがない事実ですし、他人の性質をなんとかしてやろうとは思わないことです。

「価値観がドンピシャで合う人なんてものはいない」という前提のもとで、人間関係をつくることが大切です。

過干渉もよくないです。人と親しくなればなるほど、「私がなんとかしなきゃいけないの!」となることが多いですが、ぼくに言わせるとそれはしなくてよいことです。

ヒント的な意味で、新たな視点を見せることはいいことですが、そちらの視点に誘導することはできればしたくないものです。

「あっ、あなたはこう考えるのね。なるほど。ちなみにぼくはこう考えるんだよね。」くらいの人間関係が、お互いにとってよりよいのではないでしょうかね。

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