2016年 5月 の投稿一覧

やたらとタイプ分けしたがる人たちは一生苦しんだらよい。

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「キミってこういう人だよね〜」とやたらとこちらをカテゴリーに収めようとしてくる方、わりといらっしゃいます。

ぼくがWeb系のお仕事をしているというと、「えっ、でもキミ文系だよね?なんでパソコンのことなんか…」

「うるせー!!文系だってパソコンくらいさわるだろ!!文系は伝書鳩でやりとりしてると思ってんのか?メールとか打てないと思ってんのか?おおん?」

と思いますが、不毛なやりとりは極力したくないので「まあ、趣味みたいなもんですよ〜」とフワッと返すことが多いです。

他人をやたらとタイプ分けしたがる人たちは、一生苦しめばよいと思いながら話を聞き流しています。

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きっちりタイプ分けできるものはそんなにない

世の中に、きっちりタイプ分けできるものってどれくらいあるのでしょうか。

性別でさえもきっちりと分けられないのに、一人の人間をそんなカンタンにタイプ分けできるなんてのは、ちゃんちゃらおかしい話です。

おそらく、タイプ分けしたほうが自分の頭はスッキリするのでしょうが、事実を正しくとらえるという意味だとむしろ遠ざかっています。

世の中というのは、不確実なことをかなり抱えながら動いています。世の中の流れを正しく把握することは不可能なのではないでしょうか。

そんななかで、タイプ分けという概念がそもそもオワコンだったりします。

便宜上、ある基準のタイプにいっときだけ分ける必要があるときもありますが、なににでもそのタイプ分けが応用できる可能性は限りなくゼロに近いですね。

文系、理系にこだわる不毛な人たち

高校のころのぼくは、文系か理系を選択する必要が出てきました。当時は、「国語が得意で数学がニガテ」というなんとも適当な理由で文系を選びました。

ちなみに大学選びも適当でしたが、今のところ後悔はありません。むしろ、「当時のぼく、グッジョブ!」ぐらいの感覚です。

ただぼくの場合、中学までは国語がニガテで、数学(算数?)が得意でした。そして不思議なことに、高校に入学した途端、数学がニガテになったのです。

中学時代のぼくしか知らない知り合いは、必ずといってよいほど「絶対理系だと思ったのに〜」と言います。知らんがな選手権があったらぶっちぎり優勝レベルですね…。

おそらく、人の文理にこだわる人は、自分の文理にもこだわります。「文系だからパソコンは使えないんだ!」とか思い込んでいる人は多そうです。

プログラミングとかWeb制作とか、学んでいいんですよ?

TechAcademy [テックアカデミー]プログラミングのオンラインスクールCodeCampあたりだったら、一ヶ月くらいでコードをガシガシ書けるようになるかと。

もちろん文理は関係ありません。やるかどうかというだけですからね。

文系、理系という概念が生まれたのは、(おそらく)戦後かと思います。そろそろそんな大昔の仕組みはオワコンだと思うんですけどね…。

さて、自分は「何系」だろうか

ここまで考えたときに、自分は何系だろうかと考えると、ドンピシャの回答はないような気がします。

ドンピシャで何系、というのは言えませんね。文系でWebも学ぶので、「ネオ文系」とでも言いましょうか。我ながらセンスのカケラもない…。

誰しもいろいろな思考や経験を通り抜けているものです。金子みすゞの詩のように、「みんなちがってみんないい」のです。

「えー、そんなことお前がすると思ってなかった!」と一言いうのはカンタンですが、そこに至るまでの思考をたどる人はなかなかいません。

意外なことを突然やりだす方がまわりにもいらっしゃるかもしれませんが、探ってみると根底にある思考はいつも同じなのかもしれませんよ。

表面上の特徴でタイプ分けされたところで、気にしないことが一番です。自分がタイプにしばられないようにすることは大切ですね。

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「あげた・もらった」はどんぶり勘定くらい適当がちょうどいい。

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地元の福井県に帰省していました。あいかわらず食べものがおいしすぎる…。

魚のさしみとか、大阪の2倍くらい肉厚ですからね。もはや別の食べものですよ。さしみだけで記事が書けてしまうレベルです。

田舎あるあるなのですが、食卓にのぼる料理の3分の1くらいは人からもらったものなんですよね。今の時期だと新玉ねぎ、スナップえんどう、フキとか。春の味覚をなごり惜しく味わいました。

ただ、そうやってわが家の食卓をにぎやかしてくださる方って、見返りを求めないんですよね。

もちろんこちらもお返しっぽいことはしますが、なんというかダラダラと物々交換している感覚なんですよね。

あのときのお返しで…なんてことは言わずに、どちらもダラダラあげたりもらったりしています。

そのダラダラとあげたりもらったりするくらいの感覚が豊かに暮らすヒケツなのかな、とも思ったり。

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あげたらもらわないと、と思っているとしんどい

だれに何をあげたかを覚えていて、頭のなかにあげたものと人をリストにして残しておくのはしんどいです。頭の使い方としてももったいない。

人からもらったものは覚えておくほうがよいとは思いますが、それもなんとなくでよいような気がします。あっ、借りたものはちゃんと返しましょうね。

ぼくはもともとどうでもいいと思ったことはすっからかんに忘れるタチなので、貸したカネも借りたカネも忘れてしまうくらいの勢いで友人とのやりとりを忘れていきます。

実際何度も貸したカネを忘れたような記憶があるような…うーん、忘れました。

借りたカネもかろうじて覚えているレベルなので、頭の中は常にクリアです。もやもやが残っていることはほとんどありません。すっからかんです。

適度に忘れること、適度に任せること

なにごとも適度に忘れて、適度に他人に任せることが大切なのではないでしょうか。思い立ったときにあらかじめ伝えてしまうことが大切です。

ものに限らずなんでもですが、思い立ったうちにメモやメッセージをするべきです。人間は忘れる生きものですからね。

そして、お金の貸し借りなど大切なことも、カレンダーに書いたり、ToDoアプリに覚えさせたりしましょう。

ちなみにぼくはGoogleカレンダーとWunderlistを使っています。通知もしてくれるので、(メモすること自体を忘れなければ)予定をすっぽかすことはありません。

覚えるだけの単純なことはできるだけアプリに任せて、自分は忘れてしまいましょう。そのほうが考えることに集中できます。

「あげた・もらった」はどんぶり勘定がちょうどよい

総じて、「あげた・もらった」はどんぶり勘定でよいかと。お金の貸し借りなどはちゃんとしたほうがよいですが、あげたものとかもらったものとかは適当に覚えるくらいでよいです。

ギブアンドテイクとかいいますが、商売じゃないんだからそこまできっちりしなくてもよいんですよ。ギブアンドテイクの家族関係とか友人関係とかつらすぎます。

とくにことこまかに覚えて見返りを求めたりすると、逆にこちらがしんどくなりますね。もらったものも、思い出したときになにかしらの形で返すくらいでよいでしょう。

逆に言えば、あげたということは見返りを求めないことなのです。

それくらいの気持ちでものをあげれるような生活をしていれば、とくにつらくなることはないんじゃないでしょうか。

就活も「これだけ交通費はらって面接にかよったのに落ちた!」とか思わないようにすると、だいぶラクになるような気がします。

ついついきっちりしてしまいがちですが、きっちりするところとそうでないところをうまく線引きして考えることができる人が一番ラクに生きることができますね。

貸し借りは信用のうえにあることなので、ちゃんと返しましょうね。あとはざっくりどんぶり勘定くらいでよさそうです。

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自分の人生はできるだけ遠くからながめたほうが楽しい

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就活をしていると、面接ではこってりしぼられますし、内定はいつ出るかわかりませんし、「社会はもっとつらい」とか言い出す大人は現れますしで、まあなかなかやりがいがあるってもんです。

「つらい。就活やめたい。」と思う就活生の気持ちもわかります。ついつい目の前のことに集中するあまりに、人生がつらくなることがあるかもしれません。

就活失敗して自殺とかもったいなさすぎでしょ…とは思いますが、とうの本人はつらい思いをしていることでしょう。人生終わったくらいの勢いで悩んでいるんじゃないですかね。

そんなときは、いったん自分の人生を遠くからながめてみるとよいです。生まれたときから今まで、そしてこれからをふわ~っと鳥のように上から見てみることをオススメします。

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常に何かをガマンしている人たち

日本人はガマンすることが美徳です。慎ましい、謙虚な心で、耐え忍ぶ、そしてやっと花開く。ほとんどの人はそんなストーリーが大好きではないでしょうか。

「耐えていればいつかよいことがある。」を合言葉にやってくる試練に耐えるのみ。そして、ガマンの限界が来るとウツになったり、果てには自らの命を断ってしまったり。

そもそも、つらいだけのことは即刻やめるべきなんですよ。達成したいこともないのに、理不尽にだけ耐える必要は全くありません。

目標がなくなったらやめたらいいんです。人生の中で一番のこり時間があるのは「今」なんですよ。刻々とのこり時間は減っています。

そんななかで、よくわからない試練に耐えまくっている時間はないんですよ。

常に何かをガマンしている人たちは、いま一度そのガマンが必要なのかどうかを考えなおすべきです。だいたい必要ないものがひとつはあるはずです。

喜劇王チャップリンの言葉

ぼくがけっこう好きな言葉のひとつに、

“Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.”
-人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。

という、喜劇王として有名なチャップリンの言葉があります。

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引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/チャールズ・チャップリン

実際思い起こしてみると、つらかった特定の時期すら全体的にしまりを持たせるためのアクセントだったように思えてしまいます。

つらいときにこの言葉を思い出すと、「ぼくの人生なんだかんだめっちゃ面白いのでは…」と一人で納得するほどです。

ガマンせずに激動の人生にしてもよい

死ぬことさえなければ、意外と激動の人生も楽しいものです。逆に安定した人生のほうがストーリーとしてはつまらないのではないでしょうか。

就活やめても死にません。会社もやめても死にません。「社会的に死ぬ」とか言いますが、物理的には死んでません。

テロレベルのでかい事件でも起こさない限り、全世界の社会で死ぬことはないんじゃないでしょうか。大抵は、自分のまわりにある小さな社会で死ぬくらいのものです。

田舎行くなり、海外行くなりしたら、サクッと解決できるんじゃないですかね。となると、いつでも環境を変えることができるフットワークは大切です。

ランサーズとか【サグーライティングプラチナ】のようなサービスを利用して働くのであれば、もはや物理的に死ぬことはありませんね。

時間にも場所にもとらわれることなく、いざというときのセーフティネットになってくれるので、登録だけしておくのもありかと。

仕事をした報酬から手数料が引かれるモデルなので、登録だけでお金がかかることはありませんし。

大学生としては、家から出なくても、その逆に遠出をしていてもお金をかせげるのでありがたい限りです。長期で海外行きたいからバイトやめないと…なんてこともする必要がなくなります。

そもそもバイト先に移動する意味すらわからなくなってきます。時給制とかもナゾすぎる…。

ともあれ、自分の環境をいつでも変えれるような状態にしておけば、無意味なつらさをすぐに取り除くことができます。

ムダなことで疲れはてて、せっかくの喜劇である人生を楽しめないなんてことになりたくないものです。

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目的を先に決める必要なんてこれっぽっちもない。

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なにかにつけて「その目的は?」という人、ぼくもたまにそうなります。いや、目的を定めることは大切なんですけどね。

目的を定めることにこだわるあまり、その場で足ぶみしているだけで満足していませんか?

まだはじめてもないのに、達成感を味わったりしていませんか?

そんなお話です。個人の目的の話になるので、チームでの目的とは別ものだと考えてくださいね。

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目的を先に決める必要性はまったくない

新しいことをはじめる際に、なんでもかんでも先に決める必要はまったくありません。目的に関してもそうです。

「なんのためにやるの?」ということを考えるのは、確かに大切です。ただ、目的を考えているだけでは1ミリも前に進んではいないのです。

目的がないと新しいことをはじめられないような人になりたくない、と最近思います。自分が賢くなればなるほど、行動する前に考えてしまうようになりますので。頭でっかちというやつですね。

「〜のために・・・をやろう!」と始めることを否定しているわけではありません。最初から目的ありきでものごとを始めることももちろんよいことです。

ただ、自分がやろうと思ったことに対して、「目的は?」というその疑問で足ぶみをしてしまう必要はまったくないと言いたいのです。

当初、このブログを書く目的はなかった

このブログを書き始めたときを思い起こすと、たいした目的はなかったような気がします。あったかもしれませんが、現時点ですっからかんに忘れてしまっているので、なかったのとほぼ同義です。

ただ、書いていくうちにブログの思わぬよいところに気づいたことで、はっきりした目的が生まれました。それが「発信力をつける」ことです。

ぼくは将来は故郷である福井県でなにかしたいなあ、と常日頃からぼんやりと考えています。その際に発信力を持っていると強いんじゃないか、と高知県を訪れたときに思ったのです。

関連:田舎に圧倒的に必要なチカラは、ブロガーがもっている。

田舎とブログというのは思いのほか相性がよく、将来やりたいことにつながるニオイがしました。

結果、ブログを書く確固たる目的は、ブログを書き始めてから1ヶ月ほどたったときに見つかりました。

やってみてから目的を決めたっていい

やってみてから目的を決めたっていいんですよ。最初は直感ではじめたっていいんです。「なんとなく」という感性大切。

ぼくたちはついつい頭で考えてしまいがちですが。「なんかたぶんやったほうがよさそう」くらいの感覚が生まれたときに、見切り発車してしまうくらいでよいのではないでしょうか。

むしろ、やってみたからこそ本当の目的が見つかり、やっても意味がない場合はそれを気づくことができるのです。やらないことには気づかないことだらけです。

最近、まわりの友人がブログはじめようかなーなんて言ってくれるものなので、適当にはじめたらいいんじゃないか、と思った次第でした。目的はあとからついてきますよ。

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退職まで好きなことをとっておく、というのは無理かもしれない。

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「退職したら南の島でのんびりしたいわー。」

といったような妄想をふくらませながら、日々の仕事をしている社会人の方が一定数います。確実にいます。

ヘタしたら、就活生にだってそんな人がいるかもしれません。

「就活終わったら〜」ならまだしも、「退職したらたくさん旅行したいな〜」なんて思っている人、いませんか?

好きなことがあるのはとてもよいことですが、それを退職までとっておくのはムズカシイのではないでしょうか。そんなお話です。

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小学生のころは、何が好きだった?

あなたは小学生のころ、何が好きでしたか?

ぼくはゲームが大好きでした。やることがなにもないときは、ゲームばかりしていました。

ポケモンをはじめとした、携帯ゲーム機でやるものにハマっていたので、ヒマさえあればどこでもゲームをしていました。

当時のぼくは、本気で「ゲームなら永遠にできる」と思っていました。

両親をはじめとしたまわりの大人たちがなぜゲームをやらないのか、不思議でかなわなかった記憶があります。

「大人たちは何が楽しくて毎日過ごしているのかな…。」くらいは思っていたような気がします。

あれから10年くらいは経ったんですかね。あれだけハマっていたゲームは一切やらなくなりました。本当に1秒もやらなくなりました。

当時は熱中していた身なので、ゲームを楽しんでいる大人たちを見て「何が楽しくて…」とは思いませんが、自分でゲームをやろうとも思いません。

楽しいと感じることは変化する

このように、人間の感性というものは時をへるごとに変化します。

たまに全く変わらない方もいらっしゃいますが、多くの方は昔楽しんでいたことと、今楽しいことが違っていたりするのではないでしょうか。

パリピ(クラブなどで夜中にワイワイすることを楽しむ人たち)が昔からパリピではないのと同様に、世の中のトレンドやまわりの人間関係で自分が楽しいと感じるものは変化します。

さて、あなたが退職するはずの遠い未来で、いま楽しいと思っていることがそのまま楽しいと感じることができている可能性は、いったいどれくらいあるのでしょうか。

今ぼくが楽しいと思っていることだって、10年後のぼくから見たら「なんであんなことやってたんだろう…」とか思うことかもしれません。楽しいことはそれを楽しいと思えているうちにやっておくべきです。

自分が「やりたい」と思っているうちがチャンス

やりたいことをフトコロであたためておく必要なんて、これっぽっちもないのではないでしょうか。あたたまったと思ったらすでに腐っていた、なんて笑い話にもなりません。

思い立ったが吉日。気力があるうちにガシガシやるべきですね。

「やりたいことがわからない」という方は、ストレングスファインダー(有料)グッドポイント診断(無料)で自分の適性をはかってみるのもよいでしょう。

就活も大詰めに差し掛かっています(と信じたい…)。ただ、やりたいこともガシガシやっていきたいものですね。

いつまで自分のやりたいことができるか、やりたいことがいつまで自分のやりたいこととして考えることができるかわかりませんからね。

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Kindleは本よりも読書に最適だったという事実。

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Kindle買いました。白色のKindleが最近出たそうで。ちなみにPaperWhiteです。

これまでは正直買うか1年以上迷っていたのですが、ついに買う決心がつきました。

Kindlerになるまでは、正直「電子書籍って目が疲れるんじゃないか」とか、「紙の質感がやっぱり読書には必要だよな」とか思っていました。

当時Amazonさんが4,000円の大サービスをしていたのでものは試しで買ってみましたが、なかなかよいですよ。今までにはなかった読書体験です。

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ごろ寝で読める軽さ

はじめてKindleを手にとったときに驚いたのが、その軽さです。ハードカバーの本より軽いんじゃないかというくらいの軽さで、厚みもサクッと読める文庫本並みという。

ぼくは本を読んでいるといつの間にかごろ寝になっていることが多いのですが、全くうでが疲れません。

ハードカバーの単行本とか学術書とかを読んでると、すぐにうでが疲れてしまっていたのですが、Kindleはラクにごろ寝読書ができます。

タブレットのように通知が来ないことも含め、「本を読む」ことだけに集中できるというのはよいですね。永遠に本が読めてしまうぞ…!

さすが、本を読む目的で作られた製品なだけはあります。変な話ですが、本よりも読書に最適ですね。

こんな風に片手で持ちながらごろ寝読書なんて芸当も(手の大きさによっては)できたりします。パックライトがついているので、寝ころがると暗くて本が読めないなんて心配もご無用。

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中古本よりKindleのほうが安い場合がある

個人的にKindleを買うか迷っていた一番の理由が、本の値段でした。Kindleで読む本の値段って、新品よりは安いけど中古よりは高いよね、という場合がほとんどです。

なので、「Kindle買うくらいだったらその値段で中古本を何冊か買ったほうがよっぽどいいじゃん。」と思っていました。

…よく調べると、Kindle本のほうが安かったりするんですよ。

「一番安く本を買いたかったら中古本を買う」という世の中の道理すらKindleはぶち壊しにかかっています。世の中の法則が乱されている…!

しかも、(Wi-Fi環境下であれば)購入した瞬間にその本が読めるので、もはや外出することも、注文してから届くまで待つことも必要なくなっています。

本屋さん大丈夫かな…。

調べものもできたりする

個人的に、本を調べもの目的で読んでいると「Ctrl+F(Macの場合はcommand+F) で検索してえ。」ってなるんですよね。辞書的な使い方をしたいといいますか。

Kindleだとキーワードを検索することができるので、そんなときでも大丈夫です。

マーカーをつけて特定の行にメモをすることもできるので、教科書的な本をKindleに入れてもいいかもしれません。

おんぼろになるまで教科書を使い倒した的な自信はつきませんが、純粋に勉強目的でもKindleは便利だったりします。

ただ、教科書って高いですし、使い勝手に慣れている普通の本の形式で読んだほうがぼくはよいと思っています。いずれはKindle的なもので教科書が配布される時代が来るんですかね。

ストレスフリーの読書体験ができる

総じて、Kindleはストレスなく本を読むことができる点で右に出るものはありませんでした。普通の本を読むよりもはるかに快適なんですよね。

ただ、文字情報を取り入れるという点で本とKindleの役割に違いはないので、そもそも読書が好きじゃないけどKindle買ってみようかな…という人は思いとどまったほうがよいかもしれません。

読書が好きな人にとって、Kindleは一度買ったら手放せないものになるのではないでしょうか。ハマりますよ。

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「自分よりつらい人はたくさんいる」というのはウソだったりする

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「つらいよー、やめたいよー」

そう私たちが思ったときにどこからともなくやってくる言葉。

―自分よりつらい人はたくさんいるんだから、がんばらなきゃ。―

その言葉、ウソだったりします。つらい状況にいる自分をはげますためにか、そんなことをいう人がいますが自分よりつらい人がたくさんいるなんてことはそうないんですよ。

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あなたの「つらい」と他人の「つらい」は違う

そもそも、自分のつらさと他人のつらさは基準が違うんですよ。それまでどのようなことを経験してきたか、ベースになっている環境などによって、つらさを感じる最低の刺激の強さは違ってきます。

小中学生のころに部活で年中バチボコに怒られていたぼくと、生まれてこのかた家でゲーム三昧の人との「つらい」と感じる刺激やポイントは明らかに違います。

つまり、極論をいうと一般的に「つらい」ことってないんです。あくまでおのおのがつらいと感じるかどうか、というだけなのです。

前提条件が違うんですよ。大富豪のムスコが「あー、おこづかい月10万円にへったわーつらすぎるわー」と言っていても自分と比べようがないのと同じことです。

そのムスコに対して「甘えんなよ!!」とこちらがいうのも、おかしい話なのです。彼にとっては身が裂かれるほどにつらいことかもしれませんからね。

自分よりつらいと思っていた人が楽しそうにしていると苦しくなる

自分以外につらい人を探しながら過ごしていると、逆に自分の首をしめることになります。

「やったー!自分よりつらそうな人がいるぞ!」と思っていたのに、その人がすごく楽しそうにしている。自分だけがつらい思いをしているんじゃないか、と思って苦しくなってしまいます。

「せっかく自分よりつらい人を見つけて、その人よりはマシだからがんばろうと思っていたのに、なんだかおかしい。やっぱり自分だけがつらいんじゃないか…。」

だから、だれかとつらさを比べてもしょうがないんですってば。ムダに苦しまないためにも、他人とつらさを比べることは即刻やめるべきです。

誰かと比べるヒマがあったら自分の問題に向きあおう

だれかとつらさ比べをするようなヒマがあったら、自分のつらさを解消する努力をしましょう。

つらいのは自分だけかもしれませんが、比べていてもそのつらさはなくなりません。むしろよりつらくなることだって大いにあります。

自分のつらさは自分のつらさ、他人のつらさは他人のつらさなのです。そもそも比較対象ですらありません。

だれかと自分を比べて一喜一憂するのは楽しいかもしれませんが、もっと自分のことに目を向けたほうがものごとはよい方向に進んでいくはずなんですよね。

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結果が欲しい人のための哲学書『職業としての小説家』

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世界的に有名な作家と言っても過言ではない、村上春樹氏。

個人的に村上氏の小説は「やれやれ┐(´д`)┌」という気分になるのであまり好みではなかったりしますが、『職業としての小説家』はまさにプロの仕事論で非常に参考になります。

もはやビジネス書というよりかは哲学書に近いですね。仕事をいままさに選ぼうとしている就活生はもちろん、すでに一旦仕事を選んでしまった社会人の方にもおすすめです。

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結果をいそぎ過ぎない

だから僕は自分の作品が刊行されて、それがたとえ厳しいー思いも寄らぬほど厳しいー批評を受けたとしても、「まあ、それも仕方ないや」と思うことができます。なぜなら僕には「やることはやった」という実感があるからです。(中略)もちろんいささか不快に思うくらいのことはたまにありますが、たいしたことではない。「時間によって勝ち得たものは、時間が証明してくれるはずだ」と信じているからです。世の中には時間によって証明できるものがあるのです。(中略)時間を大切に、慎重に、礼儀正しく扱うことはとりもなおさず、時間を味方につけることでもあるのです。

とにかく短期間で仕上げることが善とされる世の中ですが、自分の仕事に関してこだわりをもつこと、そしてそのこだわりを批判されても仕事にかけた時間が正しさを証明してくれると信じることが大切という、いかにも長編小説を書く人らしい意見ですね。

「仕事には納期があるからそんなこだわっていられない!」という方も多いでしょうが、そもそも村上氏にも締め切りというものはあります。大切なのは時間を自分でコントロールすることだと後述しています。

時間を自分の味方につけるには、ある程度自分の意志で時間をコントロールできるようにならなくてはならない、というのが僕の持論です。時間にコントロールされっぱなしではいけない。それではやはり受け身になってしまいます。「時間と潮は人を待たない」ということわざがありますが、向こうに待つつもりがないのなら、その事実をしっかりと踏まえた上で、こちらのスケジュールを積極的に、意図的に設定していくしかありません。つまり受け身になるのではなく、こちらから積極的に仕掛けていくわけです。

まず、締め切りを守るのは大前提なんですよね。その前提をふまえて、与えられた時間をどう使っていくかというのが腕の見せどころというわけです。

当たり前ですが、時間は待ってくれません。むしろこちらから追い立てるくらいの勢いで生きていく必要がありますね。

仕事で結果を生み出すために重要なのは体力

なんだかマッチョな感じが急に出てきましたが、実際体力がないことには仕事はできません。逆に言えば、体力があればきちんとした成果をコンスタントに生み出すことができます。

長い歳月にわたって創作活動を続けるには、長編小説作家にせよ、短編小説作家にせよ、継続的な作業を可能にするだけの持続力がどうしても必要になってきます。
それでは持続力を身につけるためにはどうすればいいのか?
それに対する僕の答えはただひとつ、とてもシンプルなものですー基礎体力を身につけること。逞(たくま)しくしぶといフィジカルな力を獲得すること。自分の身体を味方につけること。

もう少しマッチョじゃない感じでいうと、健康って大切だよねということです。病気にならずに生活するということはコンスタントに仕事ができることと同義です。

たとえ一日中イスに座って作業をしていたとしても、体力は消耗します。デスクワークにしろ、結果を生み出すためには体力は非常に重要です。

本書ではフィジカル的な体力について書かれていますが、ぼくはメンタル的な体力も大切だと感じています。

毎日コンスタントに成果を生み出すことってある種修行的な部分はどうしてもあります。

当然、「今日は仕事したくないなー」という日もありますが、そんなときに自分を奮い立たせることができる人には結果がついてくるものです。

いまある環境に執着しすぎない

ぼくがこの本を読んでいて驚いたのが、村上氏はもともとカフェの経営をしていたということです。小説家として最初のデビュー作はカフェのキッチンで生まれたとか。

カフェの経営が軌道に乗らなかったから小説家になった、というわけではなくむしろ順調だったとのこと。そんな中カフェを売却して小説家になったというのですから驚きです。

どれだけ自分にとって良い環境だったとしても、その環境に執着しすぎないことは大切ですね。就職しても会社にぶら下がるような状態にならないようにしたいものです。

いかにいまある環境をエイヤっとかなぐり捨てて自分のやりたいことができるか、というのは豊かに生きるために重要なことのように村上氏を見ていると思います。ぼくだったらカフェがうまくいってても売却できるかな…。

小説家として30年以上のキャリアをもつ村上氏から生まれる言葉は、もはや仕事論を通り越して人生論です。プロの仕事論すらこれだけお手軽に読めてしまう本って本当に素晴らしいですね。

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関西人のぼくが東京で「ここなら行ってもエエわ」と思うスポット3選

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ぼくは就活やなんやらでここ半年くらいは毎月東京に行っています。行くたびに名店をめぐることにしているので、東京の名店にやたらと詳しくなりました。

最近になってわかったのですが、それほど東京に行かないという大学生が関西には結構いたりします。

「東京って別に楽しくはない。行くところないし。」という大学生がそれなりに多いのです。

実際、「東京で観光するとしたらどこいく?」と聞かれると、パッとは思いつきません。東京タワー見ても「高いなー」くらいしか思いませんし、浅草寺に行っても「寺だなー」くらいしか思いません。

感受性の問題なのかな…とずっと思っていたのですが、意外と同じことを思っている人が多かったことが最近わかりました。

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「東京ならでは!」と言われるとそんなにない

東京って、個人的には観光地ではないんですよね。就活しているということもありますが、仕事するための街というイメージです。

実際、埼玉や神奈川などの近県から東京へ通勤するというスタイルを、非常にたくさんの方がとられています。一億総活躍の前に通勤時間をなんとかしたほうが良いのでは…と思うほどです。

関連:東京の通勤ラッシュで無駄にしている時間をなくすための方法

とまあ、東京は観光地ではないというわけで、「東京ならでは!」という場所はそれほどありません。別に東京じゃなくてもあるよな、という場所やものだらけです。

◯◯ならではというものを求めるのであれば、田舎に行ったほうがよっぽど個性的なスポットやものはありますよ。そこでしか体験できないこともたくさんあるはずです。

ぼくが東京で地味に気に入っているスポット

東京だからこそ味わえる楽しさというものはほとんどないと思っているわけなのですが、そんな東京でも「ここなら行ってもエエわ」と思わず関西弁がもれてしまうスポットを3つご紹介します。

1つ目は明治神宮です。めちゃくちゃカンタンに言うと神社です。

明治神宮が個人的に好きな理由としては、新宿と原宿のあいだという大都会にあるにもかかわらず、全くビルが見えなくなり、一気に神社感を出してくるからです。

あれが別にぼくの地元である福井にあったところででっかい神社くらいの印象しか残りませんが、都会のどまんなかにあるからこそそのよさを感じることができます。ギャップ萌えというやつですね。

特に朝の時間帯に行くことをオススメします。ひんやりとした朝の空気と神社の雰囲気にはなんとも言えないよさがあります。

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2つ目は上野公園です。周辺のお店や施設を含めて好きですね。

国立西洋美術館で展覧会を見たあとに上野公園をフラフラして、余力があったら上野動物園でパンダ(いたっけ…)を眺める。最後は周辺の名店でごはんを食べてフィニッシュ、という感じで楽しめます。

ちなみに上野公園周辺は大都会のどでかいビルと蓮(はす)のコントラストが楽しめます。蓮は夏に花を咲かせるので、上野は夏に行くべきスポットだったりします。

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3つ目は中野ブロードウェイです。めちゃくちゃ要約すると、サブカルの要塞みたいな場所です。

とはいってもぼくはサブカルにはあまり興味がなく、何十年も前のブリキ人形に金をジャンジャン使う人の気持ちは微塵もわかりません。

「まんだらけ」というサブカルの要塞兼でっかい古本屋の古本屋のほうによく行きますね。

なにより、ごはんが美味しい名店が多いんですよね。陸蒸気(おかじょうき)のランチとか個人的にベスト・オブ東京ランチをあげてもいいくらい美味いです。フワッフワの焼き魚はため息の出るうまさです。

陸蒸気 (おかじょうき) – 中野/魚介料理・海鮮料理 [食べログ]

古本を適当にながめつつ欲しいものがあったら何冊か買って、名店でランチをいただく感じがサイコーに平和で素晴らしいです。

東京は観光をする場所でもない

「東京で行きたい場所ってどこだろうな…」と思ったときに、ぼくの場合さほど観光スポットが出てこないんですよね。

チンタラしてそのあと名店でうまいごはんが食べられるような場所が好きだったりします。

なので、そもそも「東京で観光するならどこ?」という問い自体がまちがっている気がしています。観光をするなら周辺の県でしたほうがよいのでは…と思うわけです。

「どうしても東京で時間が余って困っている!」という場合には参考にしてみてくださいね。

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世の中の波に乗ろうとして何かをする人は、まぁおぼれる

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お金もうけが大好きな人、いますよね。起業したい人、いますよね。そこまでではないにしろ、「これからはあれが必要になってくるから…」という理由で何かをはじめる人、いますよね。

「乗るしかねえ、このビッグウェーブに」とか言っちゃう人、いますよね。

そういう心もちで何かをはじめる人は、まぁだいたいおぼれてどっかに行ってしまいます。ぼくもおぼれてどっかに行ってしまった一人でした。

流行というだけで何かをはじめても、結局は流されておぼれるだけなんですよね。英語にしろ、プログラミングにしろ、なんにしろ。

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これから必要になってくる、と言われていること

これから必要になってくると言われていることとして、英語とプログラミングが筆頭としてあげられるのではないでしょうか。

実際、日本の状況としても、訪日外国人が増加していたり、エンジニア職が不足していたりと、その必要性が上がってきているように思えます。

ただ、それを自分が必要としているかどうかというのはまた別の話です。

いくら世の中が英語やプログラミングのできる人を重宝していたところで、自分が必要としていなければ全く意味がありません。

もっと言えば自分がやりたくなければ全く意味がありません。

どれだけ世の中が求めたところで、自分の気持ちが向かなければどうしようもありませんよね。

だれのために勉強してるの?

「語学やプログラミングが必要になってくる」というウワサは数年前からあったので、「そうなのか!」と思ったぼくは英語を勉強したり、プログラミングを触ってみたりしました。

結果として英語はいまでもあるていど継続できており、プログラミングはやめてしまいました。

今ではちょびっとコードを書いてプログラミングっぽいこともしていますが、当時はつまらなくなってあきらめました。

当たり前ですが、英語にしろ、プログラミングにしろ、目的のあるものは続きます。

はやりに流されてプログラミングに手を出した当時のぼくには、作りたいものも目的も全くありませんでした。

英語に関しては「海外旅行で使えるんじゃね?」という、ふわっとしているにしろ目的があったので続きました。

やってみて気づいたのが、自分のためになると思ったことをやらなければ継続はできないということです。

「親のために勉強するんだ!」なんて親孝行な方もいるにはいるでしょうが、究極的に言うとそれも自分のためなんじゃないかなと思ってしまいます。親が安心することで自分も安心したい、的な。

はやりにはすたりがある

世の中の摂理ですが、はやりにはすたりがあります。流行ったものはいつかは消え去っていくものです。諸行無常というやつです。

というわけで、現在流行っている英語やプログラミングにも、いつかはすたれる時が来ます。すたれる原因はさておき、いつかは「英語?そんなの流行ったね」と言うときが来るのではないでしょうか。

いつかは需要がなくなるから英語やプログラミングを勉強するな、と言っているわけではありません。どちらも実に便利で、勉強する価値のあることでしょう。

ただ、「それをなぜ勉強するのか」、「いずれは役に立たなくなるときが来る」ということを意識すべきだと思うのです。

自分の中で「いいな」と思えるものを学ぶ

結論として、自分の中でしっかりと納得して、自分が好きだと思うことをやったらよいのです。

「みんながやってるから…」「世の中の風潮がこうだから…」といった消極的な理由で勉強せずに、「いいな」と思ったことを学びたいものです。

めちゃくちゃ月並みな表現ですが、自分の人生は一回きりです。そんな自分の人生を「はやりすたりの人生」にしてもよいのでしょうか。

世の中では古くさいと思われているものであっても、自分がいいなと思ったことはチャレンジしていきたいなー、と思う今日このごろです。

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